熊本花菖蒲の栽培と育種五十年の歩み 光田 義男
熱砂の舞 浪紅色の弁の中に紅砂子が入る六英咲 引続き二〜三年の間に、今に残る良花として、次の二花を作ることが出来ました。 胡蝶の舞 白地に浪紅の深い覆輪 三英咲 天女の舞 白地に浪紅の深い覆輪 六英咲 しかし当初期待した様な万戸の声の六英花は遂に生れることもなく、この辺りで私の紅色花の交配は途絶えてしまいました。その原因の一つにこれらを交配しても余り変った色彩は現れず、それに加えて西田一声氏の作花の中に紅系の優秀花が沢山ありましたので、これ以上は望み少ないこと諦めた次第です。従って、私の全新花の中に紅系の花は以後の作出花を加えても極く少ないことになります。 丁度その頃から平尾秀一氏は新花として、白鳳冠、太閤、桜の春、誰ケ袖、日本海、舞扁、雪灯篭、深雪、等立派な優秀花を多数発表されましたので、早速これ等を譲り受けまして花を咲かせてみて、深い感銘を受けたものです。同時にそれらの花を交配親に用いたことは、云うまでもありません。 昭和31年になりますと、私の実生にも漸く新花が現われるようになりましたが、前記先輩方の花と比べますと見劣りするものが多い様でしたが、年毎に優良花も出来るようになってゆきました。 しかし乍ら、私は専ら熊本系古花、西田系、平尾系を親として交配を行なって来たのですが、これらから色彩的に目新らしい花は一つも取り上げることは出来ませんでした。熊本花菖蒲は花型、品位を重んづるものであるということを痛感したものです。(後掲年表(B)参照) 昭和33年 熊本系には絞り色の花が非常に少いという事に着目し、絞り花を作ろうと思い立ちました。西田一声氏の新花で遠山桜という品種を頂いていたので、これを交配親にすることにしました。しかし掛け合わせる適切な絞り花の手持ちがなく、主として自家受粉を行なったようです。 昭和35年 この子のF1は親と似たよぅな花色のものが多いようでしたがF2以後には藍、紫という他色砂子絞り花が次々と出来てゆきました。 この頃、伊勢菖蒲の花を見る機会を得まして、その中に綺麗な薄色花のあることを知りました。特にそれらの中で美しいピンクの花を見て、此の色を熊本系の中にとり入れることが出来たらどんなに素晴らしいだろうと、そんな願望がふと頭の中をよ切りましたが、何分にも伊勢系は一種独特の花型をしており、花弁がだらりとカなく垂れ下がるもの、肩の辺りで角をつけて急に垂れるもの等というように、熊本花菖蒲としては到底容認することの出来ないような悪形があらわれるので、この点を熊本型に変えることは遠い夢のような話ではなかろうか、尚悪いことに、伊勢系は三英花のみという悪条件を克服して、ピンク色と共に入れ替が出来るであろうかと思うと、仲々これに手をつける勇気が出なかったものです。 折も折、富野耕治氏の伊勢系実生花の中からピンク色の六英花が現われ桜獅子と名付けられた花を見て、この花なら熊本系と交配して良型のピンク花を作ることが出来るかも知れないという希望を抱くようになりました。桜獅子は薄いピンク色の六英中大輪咲、僅かに伊勢系らしさを匂わせる点も見受けられるが、この花をそのまヽ咲かせて眺めても仲々良いものです。早速に桜獅子の苗を入手して植付け翌年の開花を待ちました。 昭和36年 桜獅子と熊本系の交配を始めました。熊本系は白花の花粉をとって付けたと記憶しています。よく実ったようで、数個の種を得ることが出来ました。 昭和37年 150本程の苗を育成することが出来て、ピンクの花の咲くのを胸を踊らせ乍ら開花を待ったのですが、これらの中からピンク色花は一本も現われることは無く、又伊勢系に見られた便雅な色彩等も殆んど見られませんでした。熊本系在来種に似た色彩の駄花ばかりでありましたが、それらの中に只一つ私の目をひきつける珍花があって後にこの花を「月影」と名付けました。赤味紫色の砂子ぼかしに濃い脈筋が見え芯が濃紫色となる働き花六英咲。何となく伊勢系の優雅さを伺い見ることが出来る大輪花で、熊本種には全く見られなかった珍色でありましたので、ピンク色の期待は外れたものの、この一花を得たことに大いに満足したものです。 この時まで私の交配は已べて熊本系古色と絞り花とに限られていたのですが、これに月影新色系が加わることになりました(後掲年表(B)参照)。直ちに月影の交配、自家受粉と桜獅子との戻し交配を行ない、月影に2果(一、二番花にて)桜獅子に何個かの種をとることが出来ました。 昭和38年 この年の交配は月影×砂子絞り花と桜獅子で、種子は前年度より多量となっていました。 |
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昭和40年 先の月影の多量の実生の中にピンク色の花は一つも見ることが出来ませんでしたが、其の代りに珍彩色の花 (江戸系の笑布袋に似た色替りで濃淡様々な花)が沢山出来ると共に、紅、紫、紺、藍色の砂子絞り花が次々と生れたのもこの頃のことです。 昭和41年 珍色系の花で己に多くの人に知られている 「葦の浮船」 がここで現れます。青紫細筋に砂子ぼかし芯のみ濃紫色となる従来にない印象に残る花です。この兄弟花に出来た”波の旋律”は前者に似てそれ以上にさわやかな青味の強い花で、両者を並べて比べて見ると後者の方に軍配があがるが、時としてやヽ作り難い点がある為か前者程には作られていないようです。 この辺りで私の育種の過程を整理してみましょう。(別表) 月影出現以来、上記による組合せ交配を重点的に行って来ましたが、又同時にこれに並行して在来種の交配も実行していたことは云うまでもありません。 昭和35年以来ピンク花を作ろうとして、桜獅子から生れた月影を親として数代に亘ってその希望をつないで来ましたが、その気配は全く感ぜられないまヽ数年がすぎてしまいました。この頃になりますとそれらから生れた珍色系、砂子系の作出が主流となり、在来花にない彩色花と絞り色花の作出に力を注いだもので、当初の目的であったピンク花は最早出現する事はないものと諦めてしまっていたものです。 昭和43年 この年も多数の実生苗が開花を待っておりました。在来熊本系は一般には当地で月初めに咲く事は極く稀れで、中旬前からというのが常識となっておりました。 6月初めのことであります。畑へ行きまして先づ実生苗の植っている方面を一通り眺めまわしましたが、やはり未だ花らしいものは全く見受けられませんでしたので、そちらへは行かず、他の場所で草取りその他畑仕事をやりまして、いざ帰ろうと思い畑の中程にある通路まで出て来て何気なく、ふと実生畑の方を振向いた時のことです。南方に植っているものを北から眺める形となり、一番遠くの用水際の蕾の先が逆光を受けて桃紅紫色にぴかりと光るのが日に入りました。今までに見たこともない色調なので、おやっと思い、若しかしてピンク花の出現ではないかと心弾ませてその場へ飛んで行きました。見れば間違いなくピンク系であることを確認、未だ他にも有るのではないかと実生中を探しましたところ、もう一つ同じような蕾が見つかりました。 已に見込みのないものと諦め忘れかけていた矢先に、昭和35年以来の夢のピンク花が遂に出来たかという感動と喜びの一瞬でした。 二つとも翌日開花の状態でしたが、このまヽにしておいて花を咲かせることが心配になりました。若しもこれを盗まれるようなことになったら十年近くの苫労が水泡に帰すことになってしまいます。さりとて一晩中畑の中で見張りを続けることも出来ません。どうしたものかと思案の末、チリ紙を巻き先の方でしぼっておき、兎に角人目につかない様にしておく事にしました。毎年交配のため蕾にビニール袋をかぶせたり又必要に応じてチリ紙を巻いたりしておくことが多々有りますので、カモフラージュ出来るであろうと思いついた訳です。 翌朝、夜明けを待って畑に急行しました処、蕾は何事もなく無事であったのでほっとしました。早速チリ紙を外して開花を今や適しと待ち受けている目の前で一枚の花弁が先づばらりと落ち(花弁の開くことをいう)、次々と開いてゆきました。二花共殆んど同色で予測通りの濃いピンク花で、且つての熊本系には全く見られなかったものでした。 未だ他には一つも色を出していない何百本もの青々とした蕾の連立する中に濃い桃色の六英と三英の大輪花が朝日の中に燦然と輝きました。払の歓轟や如何ばかりであったか計り知れないものがありました。 これらの花に「桃山の宴」「桃花扇」と名付けました。 桃山の宴 濃い桃色、正花六英咲 桃花扇 濃い桃色、弁元偉かに白小筋見ゆる三英咲 新たに出来る珍しい色のものには概ね花型の整わないことが多いものですが、幸運にもこの二花は熊本系として申分のない容姿と輪経を兼ねそなえており、立派なピンク色の熊本花菖蒲が出来上がったことになりました。 又当初交配親に用いた伊勢系の桜獅子の花色は薄いピンク色でありましたが、突然現われたこれらの花はその何倍にも濃い桃色となっており、盆と正月が一度に来たようで我が人生最良の日となりました。昭和35年ピンクの交配を始めてから長年月にわたって、劣性であるピンク色の遺伝は、他の優性である多くの遺伝子により片隅に閉じ込められて、世に出て来ることが出来ないでいたものが、どういう巡り合せによるものか、突如として外へ飛び出して来た時にはピンクを蓄積して濃い桃赤色となり、洗練された美しい姿に変身してあらわれておりました。十年近くもの間、隠忍自重を余儀なくされた揚句のうつ憤を一挙に晴らしたとも云える心情のように受取れます。 さあ、これで桃色花が自由に作れる。元花が出来たことになります。桃山の宴は1花、桃花扇は2花咲きましたので、早速この両者を相互にかけ合わせて、5個の種(二番花共)を取ることが出来ました。これらが開花するのは2年先となりますので、翌44年には未だ花を見ることは出来ませんでした。 昭和44年 前2種の桃色花の箔数も増え、前年同様の交配を行ない多韻の種子をとることが出来ました。前にも述べましたようにピンク色は劣性ですから、在来の地色花をかけ合わせてもピンク色は消え失せてしまうのではなかろうかということを懸念して、両品種のみ交互に掛けるようにしました。 昭和45〜46年 先の2年間の実生苗がこの年から次々と咲いて行くことになりますが、生まれてくるピンク花どうしによる交配を、子から孫へ、係から又次の仲代へと、今年に至るまでの25年間延々と絶えることなく毎年続けて参りました。元は桃山の宴と桃花扇の2花のみから生れた後続花を次々とかけあわせるのみで、他のピンク系花粉は一度も用いたことは有りませんが (使用できるピンク花皆無のため) より良いピンク赤、又より良い花型への追求に望みをつないで来た結果が年表(A)のように。い100品種の多きに達しました。 2品種系のみの組合せで長年交配を繰り返して来ても、今尚変った新しい花が現れますので、今後も尚この交配を続けて行きますから、まだ相当数の新花追加が望まれるものと確信しております。最後に、F1以来咲く花の大部分がピンク花ばかりであることを付け加えておきます。 当初親に用いた桜獅子は薄いピンク色でありますが、3代位から親と同じような薄いピンク花がぼつぼつ現れて来ました。今日までに出来たものゝ中から、最も良いと思われる花を拾い出して見ますと 桜月夜 薄い美ピンク色、整型正花六英咲 落花の宴 薄い美ピンク色、芯が濃赤となる美花、正花六英咲 乙女の祈 薄い美ピンク色、耳弁と芯が赤い、清純な三英咲 祇女桜 薄い美ピンク色、芯が赤くなる盛上げ八重咲 桜 舟 薄いピンク色に白筋ぼかし三英咲 |
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琴 姫 千姫と同色、クモ手芯でやヽ深咲 椿 姫 ややカトレヤ色、厚弁良形 聖 火 弁元赤色濃くなる広大弁 嵯峨の春 やヽ柿色帯ぶ丸広大弁、異色花 琴小町 千姫と琴姫を合せ2分した様な花 昭和51年 この年は実生苗少なく薪花は皆無かと思われましたが、只一花を取り上げることが出来ましたのが「西行桜」です。ところがこの花は未だ見たことのない芸の持ち主で、各弁先と多数に崩れる芯片とが細かいフリルで覆われ、開花2日日に至る満開時に於ける素晴らしさは他花では到底味わうことの出来ない興味があり、類似花は皆無と云っても過言ではないでしょう。 昭和54年 花菖蒲中で最も赤い花「火の舞」があらわれます。これまでに色々な彩色花が出来てきましが、この年の実生の中に今迄にないく目立つ花が見つかりました。赤無一色ではなく、弁元程色漉く弁先へれる様にぼかされ、尚芯が極く濃紅色で艶々と輝やいて花全体を一層赤くをひきつける六英咲。同時に兄弟花思われる同色花が数本咲きましたのでその中で一番赤いものを火の舞と名けました。早速これを交配しておきしたが、数年後にこれと同色の三英咲き「雛祭」が出来ております。千姫同様大芯良形でこの色彩系の双壁と云えます。 昭和60年 私の作りましたピンク赤色花約100種の中、此の年生れた「都雅」は最も濃いカトレヤピンク(青味を含む美ピンク) の六英咲で、群花の中で目につくものです。 この頃、紅砂子絞り三英咲「京舞」が出来ます。弁元やヽ薄くぼかしとなる、これまた大芯良形花の最早咲で、5月下旬頃群花にさきがけて開きます。私の全作出花の中で整型三英花を3つあげるとしたら「千姫」「雛祭」「京舞」ということになりましょう。 平成元年〜5年 多数のピンク花の中で花型の点で満足出来るものは三英咲では前記の3品種余がありますが、六英咲ではこれで充分と言える花は未だ出来ておりません。今回出来た「桜乙女」は現在までのところでは一番良い花と評価していますが、これとても私に満足感を与えるまでに至っておりませんので、未だ未だ改良を重ねて行かなくてはならないと思っております。 珍色系の 「千鳥の曲」は表現の出来にくい優美な薄紫色に濃紫筋入ぼかし良芯良形の六英咲で、比類を見ない珍奇色です。このような花色は作ろうと思っても、仲々に出来そうにないものと思います。 「大草原」は爽やかな藍色の砂子吹掛けしぼりの正形六英咲。去る昭和39年に出来ている「湊花の薫」は美藍色の砂子吹掛け絞りで同類花の中では最も爽やかで美しいものですが花型の点でやヽ不満の点が有ったので何とかこれを改良して良形の美藍砂子花を作りたいと思い、以来20年余にわたり時にふれ交配をしておりました処ここに至って漸く満足出来る花が出来「大草原」と名付けました。美色が現われてもその花型を良型に直すということが如何に困難かと云うことを痛感した次第です。 純白の八重咲は古花には皆無でありましたが、昭和30年代の初め故平尾秀一氏が深雪という素晴らしい花を発表されまして、驚きと共に注目したものでしたが、何分にもこの花は花首が弱く横に向き易い点が惜しまれました。 その後私も白八重咲を作りたいと努力しまして、昭和38年頃「雪見舟」「白鳥の湖」といった白八重花を発表しましたが、やはり充分な満足に価するものではありませんでした。 その後もこれが完成に色々と頭を悩ましましたが、親にする白八重花が無いため、問題点の花首に対する解決の糸口が見いだせないものですから、原点に立ち戻って、一方の親に八重花ではなく芯の崩れる大働き花で花首の頑丈な白六英咲を用いることにしました。八重の芸は前者から、花首の方は後者からと夫々に長所のみ取り出して兼ね備わった白八重花をともくろんだのですが、人間の勝手な考え通りには仲々望みを叶えてはくれませんでした。それでも何代もの間それを繰り返しておりましたところ、20数年を経た平成2年花首の強そうな八重花が数多く咲きましたので、最も良さそうなものを選んで 「満月の宴」と名付けました。又その翌年にも、色々と咲きました白八重花の中から一花を選んで「牡丹獅子」と名付けまして完成と云えるかどうか、育種をする者が思うことは出来たものよりも今一歩前進したいという願いを常に頭に描いて行く訳ですが、兎に角これで一応花首の強い雪白色八重獅子咲の花を作ることが出来たと喜んでおります。 次にご紹介する「嵯峨の春」は多くのピンク赤花とは少々趣きが変っており、やヽ柿色を帯びた濃いピンク赤色の丸広大弁良形の三英咲で、尚一枚の花弁のみ白粉吹雪が入るという変り花であります。 平成六年 当初のピンク花が出来てから25年間良形花を求めて育種を続けて来た甲斐があって、本年遂に待望の大新桃赤花が出来ました。良芯良型の巨大輪六英咲で、ピンク六英花として私の長年の夢を満足させるに十分なものでした。この花が出来たことによりピンク花改良への目標が無くなったことになり、来年からは何を作ろうかという定まった目的を失い少々気の抜けた様な思い出いるところです。 本年の作出花について、そのいくつかをご紹介しておきます。 内 裏 雛 浪桃赤色、良芯良型巨大輪咲六英咲 雛 の 襲 浪桃赤色、千姫に匹敵する良芯良型、巨大輪三英咲 十 五 夜 雪白色、十五弁咲の八重咲巨大輪 満月の恋 雪白色、十二弁咲、花首強い良芯、獅子咲巨大輪 鴬 梅 紫砂子吹掛けに濃紫覆輪獅子盛上げ咲巨大輪 |
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長年に亘る育種の過程を振返って見る時、今にして惜まれることは、選抜の折残しておけば良かったと思われる花を色々と花型不満のため捨てヽしまったということです。自分の観察力未熟のため、あの時のあの花、或はあの色を残しておいて交配にもちいればよかったとか、あの花の持っていた特徴は再利用すべきであった等々、それらと同じ花は今後二度と現れることはないであろうと思うと、残念でなりません。 育種は孤独なものであり、自ら信ずることを黙々と根気よく続けてゆくこと以外何もないということです。目的の花に出会えるかどうかは全く未知数で、僥倖を待つ辛抱強さが必要とも言えるのではないでしょうか。 最後に、今日に至るまでの私の作出した全品種を四つの系列に分類すると下記のようになります。 (1)ピンク赤色系(年表Aの通り) (2)珍彩色系(年表Bの通り) (3)砂子絞り系(年表Bの通り) (4)其他在来色系(年表Bの通り) この中で私なりに最も優秀と思われるものを各系列別に夫々5種づヽを選んで拾い上げりて見ますと、下記のようになります。 ■ピンク赤色系 千 姫 濃い桃赤色、大芯整形 三英咲 火の舞 濃桃赤色、弁先ぼかし、芯濃紅六英咲 都 雅 濃いカトレヤ赤色、働き花六英咲 琴 桜 濃桃赤に白吹雪入、三英咲 内裏雛 濃桃赤色、良芯良型の正花六英咲 ■珍彩色系 華の浮船 青紫筋と砂子ぽかし、芯濃紫正花六英咲 春 雷 紅紫に太筋と砂子入、芯濃紫正花六英咲 高楼の宴 紅紫砂子ぼかし濃淡二色咲、鳥羽根状濃紫大芯働花六英咲 大 観 美紫に筋と砂子入、芯濃紫正花六英咲 千鳥の曲 優美な薄柴に濃紫筋とぼかし、正花六英咲 ■砂子絞り系 鳳 蘭 浪藍紫砂子吹掛け、正花六英咲 青い月夜 薄藍砂子ぽかし、正花六英咲 大草原 藍砂子吹掛け、正花六英咲 佐保姫 紅砂子吹掛け、正花六英咲 京 舞 浪紅砂子吹掛け、最早咲、三英咲 ■在来色系 蛍の精 美紫色大覆輪大斑点入、働花六英咲 光源氏 古代紫色豊満な巨大輪、働花六英咲 三原山 ビロードに輝く濃エンジ色、最巨大輪働花六英咲 満月の宴 雪白色、花首強い豊満な八重獅子咲 琵琶湖 美薄水柴一色、早咲正花六英咲 平成6年12月記 |
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