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 実生新花と花の謎

  その八 「二人静」
              神奈川県相模原市
 清水 弘

 この花は後藤昭三氏作出の「湖の精」に平尾秀一氏作出の「藍草紙」を交配した実生の中から選抜したもので、分類としては白色中小輪の伊勢系に属する。最大特徴は“二三英咲き”(三英と二英に咲分ける)となる点である。両親ともに伊勢系の血が入っていること、伊勢系の品種に「二三の鏡」と呼ばれる同型のものがあること等から、伊勢系古花中にこの“二三英咲き”を現す遺伝子が入っているのであろう。普通の三英咲き品種でも、鉢植えで極端に肥料を切ってしまうと二英に咲くこともあるが、本種はそのような栄養条件とはあまり関係しないようである。
 
 追記:能と花菖蒲(二人静の名の由来)
 肥後系花菖蒲の観賞の仕方として鉢植えを室内に持ち込み、花容の移り変わる様を「働き」または「芸」と称して夜更けまで楽しむことが嘗て盛んに行われた。本会の元会長である平尾秀一氏は時間と共に移り変わる花弁の形やその大きさの変化を「能舞」にそっくりだと語っていた。
 かつて私はこの花芸を確認しようと何度も観能に足を運んだが、最初の衝撃は今でも忘れられない。能楽堂の中は全くの異界である。能舞台正面に描かれた松の古木は神が降臨する際の屋代であり、舞台左手にある橋掛かりはこの世とあの世を結ぶ架け橋となる。能管とよばれる笛が鋭く会場の空気を切り裂くと、あの世のものが橋掛かりから登場する。この能管は縄文時代の石笛を同じような音色を出すために笛筒内部に石を練った成分を塗抹するそうだ。俗説では両者ともごく高音階の音をだすので霊魂を引き寄せ易いというが、亡母から「夜、不吉な口笛をふくな」と諭されたことがあるので、真偽のほどは兎も角として感覚的には成る程と思ったりしている。
 能は一種の仮面劇でありオペラに類似するといわれるように、舞台右手には地謡‘ジウタイ’と呼ばれる者達が座りコーラスを担当する。主役は‘シテ’と呼ばれ仮面を付けることが多いが、直面‘シタメン’といって仮面を付けず自分自身の顔を面として用いる曲もある。‘ジウタイ’と‘シテ’、それに ‘ワキ’(重要な脇役)との間でやり取りされる謡(台詞)は、時には反発しあい時には融合するが、主語があいまいでシテが行うべき謡を時にはジウタイが行ったりして、主客が渾然一体となるさまは実に日本的である。
 
 さて、この「二人静」という曲のストーリーは次のようである。
「吉野勝手神社の神職(ワキ)の言いつけで神前に供える若菜を摘みに出た女が、川のほとりで無気味な女に供養を頼まれる。そのことを神職に報告しようとする菜摘女(ツレ)が「まことしからず候ほどに」と疑いを口にすると、それを咎めてたちまち死霊(シテ)が彼女にとり憑く。死者は静御前の亡魂であることを彼女の口かりて告げ、舞の衣裳を取り出させ着る。次いで「菜摘の女と思うなよ」と呼びかけつつ、静自身の亡霊が同じ姿で橋がかりから出てくる。義経の不運、花の吉野山を踏み迷う落人の嘆き、頼朝の前で舞を
舞わされた恨めしさから、慕情を訴える舞に流れこんでいく。…賤(しず)や賤、賤の苧環(おだまき)繰り返し、昔を今に、なすよしもがな…」

 この曲目は死者に憑かれてその物語を語っている女を、静御前の死霊がそれを冥界から操るかのように同型同装に舞う(相舞という)という点に特徴がある。能面をかけ、視界のほとんどがさえぎられている状態で二人がピタリと演技を合わせるという、皮肉で至難な演技を要求される演目でもある。今回紹介する「二人静」の初花は、白色3枚の下花弁の上に、2本の芯と2枚の上花弁が寄り添うように開花した。
 ちょうど、花の上半分が二英咲き、下半分が三英咲きとなった極めて珍しい形に咲き、直感的に私はこの花にはこの名しかないと感じた。それは能舞台(3枚の下花弁の姿)の上で繰り広げられる、影に形が添うという逆説的な相舞(2枚の上花弁の姿)を連想させる花菖蒲的表現であり解釈でもある。品種の命名というものはイマジネーションの世界であり、自然の美と人文の美の融合するところである。
 花菖蒲品種の一部には能や謡曲に因んだ品種名が付けられたものがあるが、その作出命名者達はこうした世阿弥による幽玄世界を垣間見た人たちなのであろう。花菖蒲田を散策するということは、日本文化という扉の前に立っていると言えるのかもしれない。


「二人静」二輪とも、立ち弁が二英、垂弁が三英