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    カキツバタの歴史と鑑賞
                      相模原市 清水 弘

 その花容が燕の飛ぶ姿に似ているところから「燕子花」との漢字が当てられたカキツバタは古来より人に愛され続けているが、観賞の対象となったのは万葉集の時代まで遡る。「かきつばた衣に摺りつけますらおの きそいかりする月は来にけり」という大伴家持による歌は広く知られているが、カキツバタの花の汁を布に摺り付けて染める習慣から「カキツケバナ」(掻付花)と呼んだのが、転じて後に「カキツバタ」となったとする説が有力である。

 また、文学の世界では別の「杜若」という漢字が当てられた作品が多く、とりわけ伊勢物語(900年頃)の八つ橋の條は秀逸である。

 「から衣きつつなれにしつましあれば はるばる来ぬるたびをしぞ思ふ」との歌は、いわゆる業平の東下りであるが幽艶なる筆はよくその情景を書きあらわしている。この歌によって優雅さと同時に憂いや厳しさを含む芸術上のカキツバタの花のイメージが出来上がり、その影響は杭と板とで作られた八橋という水辺の造園デザインにも及んでいる。
 
 絵画では尾形光琳の手による二双の金箔六曲屏風「燕子花」と「八ツ橋」が名高く、アイリス類を題材としたものでは世界最高峰のものとなっている。
 (管理者注:尾形光琳の「燕子花」図については、根津美術館のページへ)
 ところで我国で使われている「燕子花」や「杜若」の漢字は、中国ではそれぞれ別の植物を指す名前であったようで、このことは江戸時代の園芸書でも盛んに論考されている。この花が愛好され品種分化が起こってきたのは、こうした江戸時代も前期のことであり「花壇地錦抄」(1695年)には、鷲の尾、羅生門、村雲、橋姫、濡れ鷺、薄雲、四季咲き、ごまほし、白二種(つねのしろ、ぬけ白)、六葉、八葉、そして八橋の計13品種が紹介されているが、本艸花蒔絵にこれらすべての図と、より詳しい説明があるので注目に値する。
 
 しかしながら元禄時代を過ぎてから出版された「増補地錦抄」(1710年)になると、カキツバタは白六葉のただ1種と急激に減少したのに反して、ハナショウブでは32品種もが新たに紹介されており、人々の関心がカキツバタからハナショウブへと急速に移り変わって行ったことが判る。
 
 カキツバタはその分布の多い西南日本を中心とした京都文化を母体として発達したのに対して、ハナショウブは東北部を中心とした武士や町民の江戸文化を母体としており、京都文化の影響が次第に薄くなってきた時代を背景に、カキツバタからハナショウブへとの変遷が起こって行ったとはいえないだろうか。いずれにせよ、その後の花菖蒲の圧倒的な品種の拡大や花菖蒲園の隆盛に押されてカキツバタは衰退したまま現代に到っている。

 しかし、昭和の時代には宮崎英男氏、後藤昭三氏らによって特徴ある新品種が育成され、平成に入ってからは古橋壽雄氏の手によって多くの品種が育成され農水省の種苗登録に申請されるなど復活の兆しが出てきたことは喜ばしい限りである。

 ここでカキツバタに興味を持たれた読者のために簡単な花の見方を紹介しよう。カキツバタの花色は大別すると白花系と紫花系とに分かれるが、紫花の中には青みが加わった青紫系や赤みの強い紅紫系が存在する。各系統ともに濃淡があるのはハナショウブと同じだが、そのほか吹掛絞りという色模様が加わってカキツバタ独特の優美な世界が広がっている。純白地の花弁に紫色の小斑点が入ると「吹掛絞り」(代表品種として唐衣)となり、この斑点が拡大して互いに重なり合ってくると最終的に花弁の縁や弁中央のみ白色部分を残した「吹掛覆輪」となる(鷲の尾)。
 
 カキツバタ品種ではこの吹掛絞りの配色パターンが圧倒的に多く、これを星斑と称してそれに因んだ風雅な名前を付けたりもしている。続いて花型について言うと三弁咲と六弁咲とがある。三弁咲というのは小さな三枚の立ち弁と下方に広がる大きな三枚の落ち弁からなる典型的なあやめ型の花で、落ち弁の性質により垂れ咲、受け咲及びその中間型に分かれる。受け咲きの中で卵形の花弁を持ち、先端が上側に閉じ気味となるいわゆる折鶴型なるものがあり、中でも東京で舞鶴と呼ぶ品種は雌蘂が純白の吹掛け覆輪の三弁咲き種で、最も優美な品種の一つに数えられる。
 
 六弁咲はハナショウブやアヤメと同様に、立ち弁が発達して下垂し落ち弁と同じ大きさとなったものだが、細弁であるため何となくだらしのない姿に見えることがある。しかし舞孔雀と名づけられたものは雄蘂の先端が花弁化して、これが一種のアクセントとなり現存する70、80品種の中では一番豪華な花型となっている。アクセントと言えば、蕊片の発達もカキツバタの見所の一つである。蕊片とは雌蘂の先端に仲良く二つ立ち並んだ花弁状の小器官で、全てのイリス属植物にあるがカキツバタほど印象的なものはない。光琳も明らかにこの蕊片の美しさを意識していたようで、彼の残した作品群から容易にうかがい知ることができる。
 
 また、花ではないけれどもカキツバタの葉姿も美しく、その葉だけでも充分観賞に耐えうるものである。いけばなの世界では組み葉ものの中で季節に通じていけ、季節に応じて花の高さや葉の表情を変化させ、それぞれの季節の風情を示すのがカキツバタであるといわれる。例えば春の特徴はまず水の中から一枚葉がでて他の葉を保護するところから「水切葉」と称して一株の脇に短い葉を添えて表したりする。初夏は盛花として葉を伸び伸びと長くいけ株数を増やし、花はその葉の中から見えるように扱う。みずみずしい緑葉とともに真紫の花は水草の中でも最も品格のあるものとされるし、四季咲き性もあることから、いけばなの重要花材となっている。

 さて、カキツバタの良さが判った後、これから栽培しようと思い立たれた読者のためにその栽培方法について述べよう。
 
 栽培管理は最も楽な植物の一つで鉢ごと水中に漬けておくだけでよいので、毎日の潅水が出来ない忙しい方には打ってつけの花である。
 著者の栽培方法を紹介すると、花後にハナショウブに準じて株分けした後、株の大きさに比べてやや小ぶりと思われる位のビニールポットに一芽ずつ植え込む。植え込んだら鉢ごとプランター(予め底穴を塞いで置く)に入れ、プランターから溢れるまで潅水して以後、鉢土表面が水面に出ないように年間を通じて給水に努める。水位が下がるとネマトーダの被害が拡大したり、病気に犯されやすくなったりするので要注意である。
 
 9月に入ったらもう少し大きいビニールポットに植え替えるがその折、土中に遅効性の固形肥料を混ぜて置くと葉が青々と剛直に育って翌年の立派な花が期待できる。著者は植え土に荒木田を用いているが、赤玉土などでも可能なので各自用土の種類をいろいろ試したらどうであろうか。
 本来は粗放的な栽培に耐えられるものであるが、生長の早い品種の場合は毎年この植え替えを行う方がよい。

 カキツバタは全世界に約250種あるというイリス属植物の中では、最も好水性であるという他にかけがえのない特性をもっているし、欧米人にはレアプランツとされ入手を希望する愛好家が多く、1990年堀中明氏により出版された和英併記のカキツバタ図譜は随分と注目されている。カキツバタは現代において見直し、また見直されるべきアイリスの一つである。

(管理者注)
協会の「カキツバタ」関連ページへ

カキツバタを入手されたい方は、このようなサイトがあります。