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 実生新花と花の謎.その6「鬼柄杓」

       神奈川県相模原市 清水 弘     


  本年、写真の実生花が開花し「鬼柄杓」命名したが、一見して判る通り花弁の縁が上方に捲り上がって柄杓状に見える花型が特徴の新花である。この花型は花弁の構造や伸張に関する遺伝的な仕組みを考える上で、実に様々な示唆を与えてくれる存在である。今回は、それらに関して私が考えた幾つかの作業仮説を紹介したい。

 【仮説1】
 栽培型丸弁は花弁横伸張調節遺伝子の欠損による。
 
 本会員の皆様には、五月の節句に花菖蒲の切花を生けた経験を持つ方は多いことであろう。花瓶挿ししてから、しばらくすると苞から花弁が抜け出し急速に開花を始め、最終的にはいわゆる「あやめ型」の花を形作ってゆく。このことは直感的に「一枚一枚の花弁が開花後に如何なる大きさ・如何なる形になるかは、苞の中で既に決定されている。」ことを感じさせる。一般に植物細胞の伸張は、内側からかかっている膨圧によって引き起こされるものであり、その膨圧は無限大にかかるものではなく、通常はそれを細胞骨格や細胞壁が抑制した一定のバランス状態にあると考えられてきている。このバランスの一つの現われが、野生のノハナショウブの花型つまり剣弁である。剣弁では縦方向の細胞伸張が進行するのに反し、横方向の伸張が押さえられているため細長い剣状の花弁を形作ることとなる。多分、花弁における過度の横伸張は子孫を残すための効果はほとんどなく、むしろ無駄なエネルギー消費となるのだろう。一方、人間の管理下にある栽培品種では、丸弁が好まれて多くの丸弁品種が作られている。この丸弁は多分、横方向の伸張を抑える遺伝子が欠損したり不活化したりして、横方向の伸張が暴走したアンバランス状態にあるのだろう。

 【仮説2】
 細胞伸張に関わる遺伝子は部位特異性(モザイク)がある
 
仮設1では花弁の縦横方向という二次元の細胞伸張を想定しただけで、花弁の表側や裏側での伸張差を考慮しなかった。しかし今回、紹介した鬼柄杓の柄杓状の花弁形態は、花弁の表側と裏側での細胞伸張のアンバランスによって引き起こされているようだ。具体的に言うと花弁の裏面では正常な基本的細胞伸張や伸長調節遺伝子が働いているものの、花弁の表側では基本的横縦二次元方向の細胞伸張が抑制されているため、結果として花弁が表面に引き攣った花容となったものと見られる。このことは花弁の部位によって作用する遺伝子が異なることを暗示している。事実、ジャーマンアイリスやシベリアンアイリスその他の欧米で育種されたアイリスでは花弁の縁にラッフル、フリルやレースなどの襞が多く観察されるが、このことは花弁の中央部位と花弁縁の部位での細胞伸長が異なっていることを裏付けている。
 
 以上、二つの仮説を提示したが、開花前に苞の中では遺伝的な命令によって、各花弁について一定数の細胞が形成され、その後の細胞伸張の方向や作用部位を運命付けられていると思われる。柄杓型花弁ではこの運命付けをするいくつかの遺伝子の内の一つが欠損しているのであろう。今夏、北海道の大楽毛に自生するノハナショウブにも同様の変異を観察できたので、遺伝子欠損と一先ず考えて良いだろう。又、この地区で地元の野生種変異と中心に育種されている佐藤文治氏の百合咲花菖蒲は、花弁横方向の伸長抑制と縦方向の伸長暴走が認められる点で注目に値する。