トップページ > 目次 > 会報> 31号目次

 普及と品種保存

                       神奈川県 三池延和


 私が初めてNHKテレビの「趣味の園芸」の講師として携わったのは昭和五十一年でした。会場は京王百花園で中継バスが四台という今では考えられないような大掛かりでものものしいものでした。当時としては若手の講師で珍しい存在でジーパン姿で出演しました。お相手のアナウンサーは帰山礼子(伊集院)さんで声の高い人でした。拙宅に二度ほど来られ前日はリハーサルもあったのですから、今日のように簡便ではありませんでした。
 その後は小柄な上安平洌子さんとのペアーで、ラジオ放送の対談もしました。そして芸大後輩のタレント森ミドリさんとのペアーで何回か組み、その後は松田輝雄さん官本隆冶さん榊寿えさんと男性アナウンサーが続き、そして須磨佳人津江さんとのコンビで楽しく花菖蒲の普及に務めることができました。
 又、NHKラジオでは平成七年深夜便の、「ナイトエッセイ」で、「花菖蒲の古界」を一人語りで四回にわたり放送し、新聞では毎日新聞の全国版で「ハナショウブ物語」と題して平成八年に七回にわたり連載しました。花菖蒲は歴史的にも文化的にも奥の深い植物です。様々な角度から語るに事欠きません。こうして様々の出版物も含め世に問うべくマスメディアで花菖蒲を紹介する機会を得たことに感謝しています。

 しかし、こうした行為も、花菖蒲そのものが正しく存在していなければ何の意味もありません。長い間日本人の感性により育まれて生き続けて来た、日本が世界に誇れる文化、花菖蒲の将来を考えた時、現状では大きな不安が過ります。
 
 私は継承者として三十年ばかり、花菖蒲の品種保存栽培を夢中で続けて来ましたが、一ヶ所だけの保存作業は非常に危険です。しかも昨今、リゾクトニア系の病気の広がりは品種保存の立場に更に難しさを加えています。経済的裏付けもない中で、一市民の手がこれを守るには限界があります。園芸植物という命ある文化は、一度絶えてしまえば二度と戻って来ません。古い会報の三鹿野秀考さんの文の中に、菖翁のあの「月下の波」が語られており、また押田成夫さんのノートには、同じく菖翁花の「獅子奮迅」が記録されていましたが、これらはもうこの世には存在していません。

 三好学博士は花菖蒲を守るべく「花菖蒲図譜」を発行され百品種を載せてありますが、現在その半分も残っていません。そういう私も多い時には一千品種以上を栽培していましたが、失ってしまった品種は数あり心苦しいは常に消え去りません。

 現在、私の品種保存栽培は自分自身における使命感であり自負、花菖蒲に強く魅了され続けて来ました。そこには逆に社会的に国からも他者からも何の制約も無い危険性が潜んでいます。
長い歴史の中で諸外国も含め文化を守る為には、どのような形にせよパトロン、サポーターなしには有り得ないでしょう。そこで一つ提案なのですが、協会員の皆さんが一緒になって花菖蒲の品種保存をしてはどうかということです。

 会員それぞれが本当に好きな花、品種を何点か選び責任を持って育てる。菖翁のごとく生涯の友としては如何かと考えます。数は一点でも何点でも自分の好みと能力と条件に合わせ無理をしなければ出来るのではないでしょうか。そして協会にそれ等の栽培者と品種が登録されてあれば、万に一つ失うことがあっても他がそれを直ぐ補うことが出来るシステムを整えておけば良いのではないでしょうか。

 多くの会員の皆様のご意見を、是非お聞かせ下さい。