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 平成14年度花菖蒲鑑賞旅行

       理事長 椎野 昌弘     
  
館林花菖蒲園にて
 六月三日(月)〜四日(火)の二日間、北関東方面へ花菖蒲観賞旅行に出掛けました。参加者は二十五名ほどで、午後一時に大宮駅に集合し、チャーターしたバスで、まず埼玉県北部にある菖蒲城跡花菖蒲園に向かいました。同園は菖蒲町営の花菖蒲園で、都市計画課の大塚主幹が出迎えてくれました。

 菖蒲町は人口が22,673人の、自然豊かな田園風の町です。室町時代に築かれた城跡一帯に花菖蒲が植栽されており、それにラベンダーを加え「城址あやめ・ラベンダーの里」と名付けました。菖蒲田は、農業用水に沿って造られています。案内していただいた係官のお話では、
茂林寺にて
ちらほら咲き始めていた赤堀花菖蒲園

  農業用水なので農作物への水の供給の方が優先され、花菖蒲は後回しとなるので、開花前の水分が必要で大切な時期に水が行き渡らず、乾いた状態のところがあると嘆いておられました。この夏は記録的な暑さでしたので、草丈の伸びない花菖蒲が散見されました。

 連作障害の対策についても、いろいろと研究結果を話してくれました。毎年良い状態の花菖蒲を見せなければならない栽培担当者のご苦労はたいへんなものです。

 その後菖蒲町から北に向かい、途中「文福茶釜の童謡で知られる茂林寺に寄り、狸の置物などを見ました。午後四時過ぎに、待望の館林花菖蒲園に到着しました。ちょうど花菖蒲祭りの期間でしたので、沢山の人出があり賑やかでした。

 館林といいますと、先ずつつじが頭に浮かびますが、花菖蒲もそれに劣らず内容が充実し、有名になりつつあります。特に当協会の東理事が中心となって、平成十三年に「正花会」が設立発足し、会期中に旧館林藩主の秋元家別邸で、古式にのっとって花菖蒲を展示し、観賞するイベントを始めてマスコミなどに注目されつつあります。詳しくは当会会報の三十号に紹介されておりますので、ご参照下さい。

 館林花菖蒲園は、旧秋元別邸の庭園から城沼の水辺にかけて二七0品種、約十万株の花菖蒲がその美を競っています。本年の出来栄えは素晴らしく、肥料が効いて草丈も高く、めいっぱいに大輪を誇っており、一番花のベストな状態を観賞することができました。栽培責任者の小堀修さんの話では、市民に苗を配り、約三百の大鉢を作ってもらい、これを駅前に展示する行事が月末にあるそうです。官民一体で花菖蒲を観光資源として盛り上げようという意気込みに打たれました。

その夜は、薮塚温泉のホテルふせじまに泊まり、小堀さんを交え宴をはり、花菖蒲談義に楽しいひと時を過ごしました。

 翌日は午前八時半にホテルを立ち、ジャパン スネークセンターでたくさんのヘビを見て、(尤も、敬遠された方もおられましたが・・)その後、木枯紋次郎のふるさとと称する三日月村に行き、江戸時代の遊び場を再現した鏡のトリックを見せるギヤマン館や、平衡感覚が狂ってしまうカラクリ屋敷などを体験し、大笑いしました。続いて太田市にある子育て呑竜上人で有名な大光院を参詣し、有名な料理屋の「新田の庄」でほうとうなどの豪族料理に舌つづみを打ち、最後の目的地である栃木県の赤掘花菖蒲園に向かいました。一一0八年に起こった浅間山の大噴火の後、被害地救済のため水田再開発工事を豪族が起こして堀削りした送水路の遺構が今に残り、そこに町が花菖蒲を植えて赤堀花菖蒲園としたという経緯があります。遺構は上幅およそ十五メートルから三十メートル。深さは五メートルの悌状で、水路であった部分にびっしりと花菖蒲が植えられていました。二万五千株と言われる色とりどりの花を見ながら、延々と続く土手の道を歩きました。一見自生地のような趣もあり、このような花菖蒲の観賞の仕方も面白いなあと思いました。
そのあと、JRの高崎駅で解散しましたが、参加者の方々は様々な思い出を胸に帰路に付いたことと思います。

今回の観賞旅行で幹事としてお世話いただきました三池延和理事と、東秀光理事に心より感謝し、私の報告を終わりたいと思います。