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 花菖蒲との出会い             

    熊本県阿蘇郡 芹口 徹

芹口氏宅の花菖蒲展示,屏風,鉢受け皿とも芹口氏の手製

   私は熊本県阿蘇郡の農村に生まれました。そんな私が昭和40年ふとした縁から神奈川県の大船植物園に就職するという幸運に恵まれたのです。植物園で面接を受けた日の事、当時課長だった上野さんという方が、熊本には肥後六花という有名な伝統園芸があるね、と言はれたのですが、私には何のことやらさっぱり分かりません。信じてもらへないかも知れませんが、熊本に育ったといっても井の中の蛙で、肥後六花が何であるのか耳にしたことも無かったのです。恥を忍んでその話をしますと、えッ、肥後六花を知らない?…それはね、椿、山茶花、芍薬、菊、朝顔、花菖蒲、これらの花名の頭に肥後を冠して、肥後何々、と呼んで独特の育て方をする花のことだよ、と教えてくれました。それ以来私は六花の中の何か一つを手掛けて絶対に成功してみせるぞと、ひそかに決意したのでした。運というものは思はぬ所にあるものです。 

 未だ完全に病気が抜けていないので,花も葉も貧弱です。部屋が狭いため花の最盛期には鉢を既定の間隔におくことができず,窮屈な感じになります。
 厚弁のためか,開花4日の朝まで鑑賞に堪えました。これほど日持ちの良い花ははじめてです。

 故郷を出るに際して或る知人が、神奈川県に行ったら一度横浜の西田一声という人を訪ねてみなさい、何か役に立つ事があるかも知れない、と言ってくれたことを思い出しました。

    期待に胸はずませ乍ら磯子区の西田さんを探して行きました。驚いたことに西田家は代々肥後花菖蒲を受け継ぐその道の専門家でありました。簡単な紹介の文言を書いた知人の名刺を差し出すと西田さんは非常に喜ばれて、初対面の私に花菖蒲の鉢作りの手順を詳細に伝授して下さったのでした。この時から私には大きな目標ができました。早速六十個の鉢を購入し、自宅で栽培を開始したのですが、自宅とは言っても植物園の舎宅ですから忽ち人の知るところとなり、上野課長が花を観に来られて、こんな素晴らしいものを一人で楽しむのはもってのほかである、是非植物園の展示場に陳列するように、ということになり、はじめの頃二年間は私個人の作品を展示したのですが、三年目からは植物園の行事としてやる事になりました。大量の鉢を取り寄せて本格的な鉢植え栽培が行はれ、主として私がその任に当たりました。思へばその頃が私の人生で最も充実した日々でありました。ところが我が家の花菖蒲は見るも無惨な状態になっていたのです。

難病との闘い

 鉢作りには無菌の土が望ましい、ということで始めの頃は赤玉土を用いていたのですが、七号鉢六十個分の赤玉土となると馬鹿にならない金額です。当時十坪ほどの庭を耕して野菜を作っておりましたので、その畑土を花菖蒲の用土にしたのが失敗でした。その年から苗の伸びが著しく悪くなり葉の色も元気がありません。苗を抜き取ってみると白根が一本も無く真っ赤になった短い根が二、三本あるのみです。新しい葉が伸びるスピードよりも、外側の葉から枯れて行くスピードの方が早くて、貴重な品種をどれだけ枯らしてしまったか知れません。やむを得ず新しい苗を補充しますとその年は立派な花を咲かせるのですが、次年度からは同じ病気に罹ってしまうのでした。あらゆる殺菌剤を試してみました。七月の株分けの際、きれいに根を洗って消毒液に浸漬してみたり、木酢液に浸してみたり、メネデール等の活性剤を撒布したり鉢を消毒したり、種々手をつくしたのですが、どれも効き目が現れませんでした。職場の菖蒲園で軟腐病らしきものを見ていますが、それとは病状が異なります。黄縮病とも少し違っている様に見受けられます。

視点を変えて

   現在私は百坪ほどの畑で自家用野菜を作っておりますが、食べ物に関しては無農薬栽培を心掛けているのです。トマト、ピーマン、ナス、これらは同じ茄子科の植物で連作を嫌います。それ以外にも連作を嫌う野菜があります。この連作障害を少なくする方法は、輪作をするとか、他の植物との混植をするのですが、私はもう一つの方法として菜園に麦を蒔きます。こうした稲科の植物を植えると地中の微生物の分布が変ると言はれています。これを花菖蒲の病気の根絶に応用できないものかと思って次の事をやってみました。

   四月下旬頃麦が最も繁茂した頃、これを畑から抜き取って細断し、コーランという物質と合わせて畑土に混入します。コーランは有機物を腐植分解する作用を持った物質(園芸店にあり)。こうして積み込んだものを数回切り返してやりますと六月末頃には麦ワラは全く原形をとどめない培養土が出来あがります。有機物を入れた土は団粒構造になっていますから水はけは良くなっています。
 
花菖蒲の植え付けは無肥料が鉄則ですが、この土には麦が腐植した肥料分が含まれていますから、鉄則に反した方法ですが、病気を退治させるのが目的ですから麦ワラの量を加減し乍ら土作りをやっています。

    神奈川県から再び熊本に移住して七年が過ぎました。この七年間麦ワラ混入の土作りを続けてき来ましたところ一昨年あたりから少しづつ病気が快方に向かってきたように見えるのです。九州は南国ですが、阿蘇地方は寒気の厳しい所で氷点下十度になることは珍しくありません。水道の凍結はしばしばです。真夏でも熱帯夜になる事は全くありません。こうした気候のためか、アヤメキバガの発生も少なく薬剤撒布の必要を感じない程です。この気象条件が花菖蒲に合っているためにか、麦ワラ培養土が効を奏して来たのか定かではありませんが病気が治りつつあることだけは確かです。

花止まり現象

    申すまでもなく花菖蒲は、根茎繁殖と種子繁殖の二つの繁殖方法を備えた植物ですが、麦ワラ培養土に苗を植えると忽ち生育旺盛となってどんどん腋芽が殖えますが、親苗はその割に伸長しないのです。結果として花止まり苗になるようです。現在私は七十五品種を所持していますが、その中の十五・六種は花が咲きません。花止まりには個体差があって、毎年同じ品種が花止まりになる、というおもしろい現象がみられます。若苗の時期から肥料気のある土に植える為に盛んな根茎繁殖が行なわれて、種子繁殖の必要がなくなり花芽を用意しないのではないでしょうか?…
 シャコバサボテンの花を咲かせるコツは、九月の水やりを極端に少なくするのだそうです。肥沃な土地に植えた果樹は樹勢ばかり強くて果実が成りません。こんな場合昔は樹の幹に鉈などで数ヶ所切り込みを入れたものです。すると見事に花が咲き実を着けました。
   植物に思考能力があるとは思はれませんが、苛酷な条件にさらされると生理的に身の危険を察知して子孫を遺す準備をするのかもしれません。
 長い年月花菖蒲の難病に悩まされましたが、どうやらその病気も消滅しつつある様ですから来年から無肥料の土に植え込むつもりです。
   秋の施肥は九月からとなっていますが、平野部に比して山間部は早くから秋風が立って参りますので私は八月二十五日頃から施肥を開始します。来年は無肥料の土で三号ポットに仮植し、八月下旬本鉢に定植する時に麦ワラ培養土を用いるつもりです。
    鉢に植えて一茎一花で鑑賞するには豪華な肥後花菖蒲に限りますが、反面、長井古種の様な原種に近い花形にもどこか懐かしいものを感じます。大船植物園には宮沢文吾先生が作出された、江戸系大船育成種と言はれるものがあり、その中で星月夜、待宵、安積、という品種が好きで長い年月持っておりましたが残念なことに病気で失くしてしまい、今は安積の一種を残すのみとなりました。
    その後加茂先生の所から、日月、波乗舟、爪紅、長井小紫、碧雲、出羽の里、千鳥の舞、赤トンボ、すゞ風、出羽万里、鶴ヶ城等々を購入して露地植えで楽しんでいます。
   さて、挨拶が前後いたしましたが、私今年から花菖蒲協会の末席を汚すことになりました。協会発足が昭和五年だそうですが、昭和五年は私の生まれた年でありまして何か奇しき縁のようなものを感じます。
   これからも体力の続く限り花作りに邁進する所存ですから何卒よろしくお願い申し上げます。

写真右:
「鉢抜き出べそ」と名付けました。水抜き穴を突起部にあて押すと,簡単に抜けて便利です。鉢へのショックを和らげるため,厚いゴムを敷きました。
写真左:
「鉢洗い」円板の裏に車輪を付けて回転台を作りました。
鉢を洗うのも楽しみの一つになりました。
写真右:
同時に2個運べる安全運搬用具→

年々握力が弱くなり,手をすべらせて鉢を割ってしまったので,今年はこんなものを作ってみました。花を傷つけないよう,持ち手を箱の中心線からずらしてあります。