魅惑の生物資源「花菖蒲」
愛知県岡崎市 香村 敏郎
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はじめに
私が花菖蒲と出会ったのは、七年ほど前のことです。近くに住む「岡崎ハナショウブ愛菖会」の世話役をしておられた板倉定夫さん宅の花菖蒲を見て、花菖蒲の故事来歴を伺った時と記憶しています。その時、「岡崎ハナショウブ愛菖会」という会があり、その後、三河徳川家ゆかりの松平左金吾定朝(菖翁)により、花菖蒲が江戸時代後期に飛躍的に発達したことを知りました。私は米麦の品種改良に長年携わってきましたが、菖翁の「花菖培養録」に「自ら媒助したるものに偶然異株の新花を得るときは非常に愉快なり」と記されている事実も驚きでした。当時、白いご飯が夢でした稲の改良でさえ、公式の交配記録は明治初頭です。
平成九年に、日本花菖蒲協会の現地視察会が岡崎の東公園を中心に行なわれました。その時の視察記に、「岡崎ならではの品種を期待したが、残念ながら…」の紀行文が寄せられています。聞けば、かって三重大学の冨野耕治博士により、岡崎特有の実生新花が育成され、東公園よ狭しと植えられていたようです。このようなことから私は、無経験を省みず片手間の花菖蒲育種を始めた次第です。
しかし、いざ品種改良を始めると、勤めの関係で移植や除草もままならず、行き当たりばったりのいい加減な育種になりました。新しく生まれる品種には育種家の人格と教養が滲むと言います。特に伝統と文化の香に彩られた花菖蒲では、その感を深く覚えます。今までの品種より劣るでないかと思われるかも知れませんが、「メクラ蛇に怖じず」で、敢えて記述させていただきました。各品種の名称は、家康公と三河武士のふるさと、岡崎に因んだ名称を考えました。皆様の忌憚ないご批判をお願いする次第です。
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1 青(藍)色系品種
青色の花は、花菖蒲園では白色とともに無くてはならない色として、最も親しまれています。宮崎大学の藪谷勤先生によると、青色はデルフィニジン系色素によるが、どうも花菖蒲にはこの色素だけのものは無いようです。
平尾秀一博士育成の「青岳城・藍草紙・朝戸開」は銘品ですが、開花一日ごとに残念ながら赤紫色を現します。「藍草紙」由来の「碧鳳・碧玉」、[碧雲]由来の「三河八橋・群青」も、現存品種の中では最も濃い青色ですが、逆光で見ますとやはり若干の赤紫色を含みます。
「葵三代」(群青×三河八橋)
この品種はA平成八年「群青×三河八橋」の交配後代から生まれた濃い青色系品種です。品種名は、平成十二年にNHK大河ドラマで「徳川葵三代」物語が放映され、その題名に因んで付けました。家康に似て「出藍の誉」になれば良いのですが?。
この品種の花期は中生(六月上中旬)。花容は江戸系中輪の三英花。芯(雌蕊)、花弁(内外花被)とも色は濃いブルーで「群青」に似るが、密標(弁元の黄色)から流れる白筋は殆ど無く、夕闇に浮かぶ花姿は幽玄の郷を誘います。稈長は中、太茎で首折れしません。欠点は繁殖力が弱く、株がやや開くこと、逆光では赤紫色が幾分現れ、剣葉が垂れます。そのかわり、太い茎は殆ど花芽を持ち開花します。鉢植えに適するでしょう。
「葵賛歌」(夜の海×青海)
この品種は、平成八年に「夜の海×青海」の交配後代から、平成十二年に育成された品種です。本会の板倉定夫さんから「この花良いじゃないの」と、賛辞を頂いたのが命名の由来です。
この品種の母本「夜の海」は、花友が仮に名称を付けた花で、「碧鳳」の血を引く濃い青色六英です。「碧
玉」に近い品種でしたが、株元が開き草型が悪く、既に絶種しました。
この品種の花期は中生。花容は江戸系中大輪の六英花です。花色は花弁、芯ともに濃い青色を呈し、色の変化に乏しい嫌いがあります。同じ花色素を持っていても、花弁の細胞構造などにより輝きが違うようで、この品種の濃いブルーは、宵闇でその輝きを増すようです。
稈長は中位、茎の太さは幾分細めですが、草型は直立し、倒伏や首折れはしません。母親の欠点を完全に改善した、繁殖の良い品種です。鉢植・圃場栽培に適すでしょう。
「葵の舞」(碧海×青海)
この品種は、平成八年「碧海×青海」の交配後代から、平成十三年に付名した品種です。一番花は一見「めざめ」かと思いました。しかし、六英花ですので「六英めざめ」と仮称、更に夕方の花容が・夜蝶乱舞・を連想させたので、「胡蝶の舞」としました。ところが、花菖蒲品種総目録の光田義男氏育成種などに同名があることを知り、「葵の舞」と改名した品種です。
この品種の花期は中生。花容は江戸〜肥後系中大輪の六英花です。花色は明るいブルーで、鮮明な白筋がより青色を引き立てます。夕闇に映える花姿は、まさに夜蝶乱舞と言えるでしょう。惜しむらくは芯が白く、やや大きく日ごとに開帳し目立つこと。花色も日がたつと赤紫色を含むのが欠点でしょう。
稈長は中の長、やや太茎で倒伏やヤ首折れ少なく、草型は整然と直立します。恐らく花菖蒲園向きでしょう。繁殖も良さそうです。
三河の星(朝戸開×三河八橋)
この品種は、平成八年「朝戸開×三河八橋」の交配後代から、平成十二年に育成した品種です。ひいき目にみて母親の「朝戸開」より更に鮮麗な花色だと自我自賛しています。あわよくば・三河の小星・が全国を照らすことを願って命名しました。
この品種の花期は中生。花容は中輪の江戸系三英花です。花弁は樋型で肩が張ります。花色は「朝戸開」に似た澄んだブルーで、流れる白筋が清浄な青色を一層引き立てます。芯はやや白く大きく、やや開帳するのが欠点です。稈長は中〜やや短稈、やや細茎ですが強稈で首折れしません。分けつは多く、剣葉も立ち易く、草型は直立します。繁殖の良さそうな品種で、鉢植、圃場植えともに適するでしょう。 |
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三河の宝 |
2 紫(淡紫・藤)色系品種
紫には藤色、薄紫には水色などがあり、藪谷勤先生によればフラボン量+αが関係しているようです。花菖蒲には水に関係した名称が多く「湖水の色・水の都・水色獅子」などがあり、薄紫色の上品な品種には、平尾秀一博士の育成した名品「清少納言」もあります。
私もこの花色系には心を奪われますが、まだ母材も少なく余り交配を行なっていません。その中からこの花色と思われる品種を紹介します。
三河の宝(雲井竜×青岳城)
この品種は、平成八年「雲井竜×青岳城」の交配後代から平成十二年に育成された品種です。もともとは「雲井竜」の八重性と花首折れの改善を目標に交配しましたが、三英花を父親に選んだため八重花は現れませんでした。
この品種の花期は中生。花容は江戸〜肥後系六英の中大輪花です。花色は薄紫、白筋入りで「雲井竜」の花色を受け継いだと思われます。芯は白色でよく立ち、花型を引き締めています。
稈長は中のやや短稈、太茎・強稈で花首折れしません。剣葉は幾分垂れますが、葉幅はやや広く重厚感があり、生育、繁殖ともに良さそうです。草型から鉢植、圃場植えともに適するでしょう。
私は、交配したはせいぜい一組合せ十個体程度しか栽培しません。手間が無いからです。にもかかわらず、この組合せからよく似た二株が選抜されました。これに「三河の宝一号、二号」と付名してあります。後で紹介する「龍城の桜・三河武士」も同じです。平尾博士が育成された「朝戸開」も、同じ組合せから区別のつかない二株が生まれ、結局後に混合されたと本協会名誉会長の加茂元照氏ヘ述べています。これらのことから、花菖蒲品種は株分けにより維持されますが、品種により遺伝的にひどく雑ぱくでないものも有ると思われます。
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三河白雪 |
3 白色・複色系品種
花菖蒲の世界では、純白の特に三英は育種しにくいと言います。花色でごまかしがきかない分、花形の良さが求められるからです。
三河白雪(白三英×銀の琴)
この品種は複輪花(弁渕だけ色違い)の育成を目標に、平成十年「白三英×銀の琴」の交配後代から、平成十三年に育成された白花品種です。複輪花育種の狙いは完全にはずれた、どこにでも有る白花品種です。ただ「白三英」が肥後の名品「玉洞」芯(大きく立つ)を持ち、その再現の期待もありました。
この品種の花期は中生。花容は江戸系三英の中輪花。花弁と芯はほどよく立ちます。弁は樋弁で、かすかに青色の刷毛目が入り、花色は純白とは言えません。
稈長は中のやや短、やや太茎で草型は直立し、倒伏には極めて強いようです。葉は短く纏り、剣葉は良く立ち、草状は良好です。鉢植,圃場植えどちらにも適するでしょう。
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龍城の桜 |
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三河武士 |
4 赤(ピンク)・赤紫色系品種
花菖蒲には、バラ、カーネーションのような目のさめる赤花はまだ無いようです。各地の育種家が必死になって追い求めて来ましたが、名古屋市の光田義男氏育成の「火の舞」や「千姫桜」が最も赤(マゼンタ)色のようです。国立科学博物館の岩科司技官や宮崎大学薮谷勤先生の研究によると、シアニジン3a5型の脱アシル型の獲得が必要のようです。「宮系2」など、関連する遺伝子を持つ母本があれば、是非挑戦したいものです。
龍城の桜(雛桜×紅桜)
この品種は、平成九年「雛桜×紅桜」の交配後代から、平成十二年に育成された品種です。「龍城」とは、家康公生誕の城、岡崎城の別名で、桜の名所としても全国的に有名です。
この品種の花期は中生。花容は江戸系六英の中大輪花です。花弁及び芯は深いピンク〜桃赤色で、花色は「紅桜」よりやや淡いが、花弁が厚いので花型・花色の退化は遅いようです。
稈長、茎の太さは中位。「紅桜」より伸び伸びと生育し、繁殖も良さそうです。倒伏や花首折れもしません。剣葉も立ち草型は良好です。鉢植、ほ場植えともに適するでしょう。
この品種が生まれた交配種子は、僅かに三粒しか有りませんでした。その中の二株は形態、花容がよく似ています。一応「龍城の桜一号、二号」として保存しています。
三河武士(業平×加茂赤)
この品種は、平成八年「業平×加茂赤」の交配後代から平成十二年に育成された品種です。「業平」は周知の名花ですが、父親の「加茂赤」は、平成八年に加茂荘より赤花の花粉を頂いて持ちかえり、勝手に付名・交配したものです。
江戸肥後中間タイプの六英中大輪で、花期は中生。「業平」より深みのある暗赤紫色で、一度見たいと思うペーン博士育成の「ザ・グレートモガール」に似ておれば?と思います。芯もほぼ同色で立ち、花容を引き締めています。緋縅の鎧を着た質実剛健な三河武士に思いを寄せ命名しました。本種も栽培個体数は僅かに八株でした。その中から花容のよく似た二株が選び出され「三河武士一号、二号」として保存されています。二者の良否は今後の観察に待ちたいと思います。 |
終わりに
歴史と文化に彩られた奥の深い花菖蒲について、たかだか数年の経験しかない駆け出しの私が、花菖蒲の育種について拙文を綴り赤面の至りです。
しかし、花菖蒲を作り見たりして、まだまだ改善すべき点が多いように思います。その難題が連作障害・雑草対策、花持ち性、耐陰性などでしょうか?。難問ばかりですが、それらを解決しないと花菖蒲園の管理者も苦労し、一般家庭にも容易に入らないように思われます。幸い大学や研究機関にも花菖蒲に興味を持つ研究者も居られるので、バイテク利用などによる画期的な品種の開発に期待したいと思います。
なお、私の育成品種は、現在私の自宅や、自宅の近くにある岡崎市東公園花菖蒲園の育苗圃において増殖中です。明年六月の「東公園花菖蒲まつり」には、展示してご批判を受けたいと思います。
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