トップページ > 目次 > 会報> 30号目次

 日本花菖蒲協会70周年記念祝賀会

   祝賀会役員  清水 弘


日比谷松本楼閣での祝賀風景
祝賀会でのオークションの様子

   平成13年10月28日、本会の70周年を祝う記念集会が東京日比谷公園内のレストラン、松本楼で開催されました。会場にこの場所が選ばれたのには訳がありまして、それがまた一番重要なことと思われますので、まず、そのことに触れて置きたいと思います。
   昭和5年(1930年)に設立された本会は、発会後の僅か10年で最大の危機に見舞われました。言わずと知れた太平洋戦争です。多くの貴重な人命・財産を始めとして、愛好家にとっては時として命の次に大切となる花菖蒲品種が、この戦中・戦後に失われて行きました。戦後の混乱が収まりかけた昭和27年(1952年)8月、我々の大先達は、早くもこの松本楼にて本会を再立ち上げさせました。それが出来たのは戦後いち早く離散品種を再収集するのと同時に、実生改良によって戦前を上回る発展を夢見た人達がいたからです。西田一声、伊東東一、更に平尾秀一、冨野耕治、光田義男、押田茂夫氏等が続きました。彼らはこの松本楼に集い、ここでの熱い会合を基軸として戦後の花菖蒲大発展の基礎を築いて行きました。

   そんな感慨を胸に秘めながら小雨のそぼ降る中を会場に向かいました。雨中にも関わらず35名の会員が集まり、会場受付には事務局の永田氏が苦労して纏めた「日本花菖蒲協会の歴史」が用意され、本会の長い歴史と共に先達の立派な業績が濃縮されているような資料となっていました。午後1時を少し回ったところで、椎野理事長の挨拶から始まり、次いで本会や花菖蒲の発展に多大の功績を残して近年、他界された平尾秀一、冨野耕治、光田義男、押田茂夫、宮崎英夫、中村元義、並びに福田新一の諸氏に対して、黙祷が捧げられました。その後、長老の市川忠司氏による乾杯の音頭によりフランス料理の会食が始まりました。会食中、各関係団体からの祝電が紹介されリラックスしたところで、加茂名誉会長より幾つかの回顧談が披露されました。会場となっている松本楼は一度、火災により消失したが、今、この会場の窓の外に見える大銀杏は、往時のままに慄然と立っているとのことでした。また三池氏より、その後の氏の人生に深く関わった昭和44年(1969年)パリ国際園芸博での花菖蒲関係者との出会いや、その後の品種保存事業のこと等が懐かしく語られました。これらの思い出話に花が咲いた後、遠方から遥々祝賀に駆けつけてくれた参加者からの祝賀や挨拶が行われました。さて、祝賀会もいよいよ佳境に入ったところで、参加者から持ち寄られた品々(花菖蒲関係の書画や写真、書籍それに心のこもった手作り品等々)のオークションが楽しく行われ、終わりに加茂花菖蒲園より提供された特別品種の頒布が行われました。予定した時間もあっという間に過ぎてしまい、最後に一江副会長より閉会の挨拶と、それに続く全員での記念撮影で、70周年記念祝賀会も大盛況の内に終了しました。

 雨上がりの帰りの道すがら、本会が70年も続いているのは一体どういうことであろうかと自問して見ました。勿論、先人たちの計算抜きの直向きな努力があったからでしょうが、今回、奇しくも米国アイリス協会会長から届いた御祝いの手紙の中に、次のことが述べられていたことが頭に浮かびました。「アイリス協会は知識の普及と同好の人達の親睦を進めて行くものですが、その奥底には私たちに訴えてくるアイリスの美があります。」とのメッセージです。花菖蒲の花を、美しいと感じ取る心が我々日本人にある限り、花菖蒲を愛でる人は後を断たないでしょう。そうした人達を束ね、そうした人達の窓口となっている限り、日本花菖蒲協会は光を放ち続けるでしょう。

  追 伸
 下記の関係諸団体より祝電を賜りました。紙面の関係がございますので、ここにお名前のみ紹介させて頂きます。どうも有難うございました。
  記
伊勢花菖蒲園、大船フラワーセンター、葛飾郷土と天文の博物館
長井花菖蒲会、潮来あやめ会、岡崎花菖蒲会、三重花菖蒲会、米国アイリス協会


日本花菖蒲協会創立70周年記念祝賀会記念撮影