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 私の花菖蒲 

    三重県 宇田 勲


 花菖蒲第28号への投稿について、何でもかまわないとの事でしたので、非礼を承知で拙文を投稿することに致しました。

 私と花菖蒲との出会いは15年前になります。その当時は定年後の趣味として民謡が盛んでしたので、私も世間並みに民謡を習い、尺八、横笛の独習を始めました。その頃、御近所に渡辺さんといって花菖蒲に非常に熱心な方がおられ、交配して新花を作るのはもとより、花菖蒲の鉢植えを二百鉢くらい、露地で二畝くらい栽培しておられました。六月になると、気品にあふれた美しい花を見るのが楽しみでした。

 そんなある日、渡辺さんが開花後の株分けをしているのを見に行きましたが、そのとき私に「あなたもきれいな花を咲かせてみませんか」と言われ、他にも趣味のあった私は、これ以上手を広げるのは歳と共に体力の衰えを考えると無理と思ったのですが、花と共生するのは嫌いではないし、十鉢くらいなら何とかなると始めたのが病み付きとなり、欲も手伝って品種も増えてゆき、今では七寸鉢で百五十鉢、露地植え百五十株を作っています。

 人間の社会では、人と人、国と国、民族と民族の欲がからんで、憎しみ合い殺し合いがいつ果てるともなく続いています。しかし花菖蒲にそんなものはなく平和そのもので、戦争していては良い花は咲かせることはできない。また、子供は可愛がって育てても、親の期待を裏切る場合があるが、花は絶対に裏切らない。真心を持って育てれば、立派な花を咲かせて応えてくれる。

 花菖蒲は株分けしてから冬の休眠期になるまでの成育の良否が、次の年の花の良否を左右すると聞いています。この事から申しますと、私の花菖蒲は立派な花が咲いてくれるものと楽しくなります。

長井古種 長井あやめ公園にて 撮影 金子キミエ
渡辺さんも病気には勝てず、平成になるまえに他界されました。花菖蒲はその後しばらく奥様が作ってみえましたが、二年くらいで姿を消しました。如何なるものも栄枯盛衰は世の習いと申します。花菖蒲を愛し、後世に伝える人の一人でも多いことを祈ってペンを置きます。