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協会創立のきっかけとなったリード博士

  理事長 椎野 昌宏


 日本花菖蒲協会と私の年齢がほぼ同年であることを改めて認識し、感慨深いものがあります。米国のブルックリン植物園のリード博士の来日を機に、昭和五年六月二十日に堀切で第一回目の観賞大会が開かれ、同博士が講演されました。その時をもって日本花菖蒲協会が創立されたと考えられます。その時の来会者が約三百名と記録されていますが、花菖蒲愛好家の熱気が彷彿と伝わって来ます。
 私が生まれたのが昭和六年四月七日ですので、今六十九才になりますから、日本花菖蒲協会は七十才の齢を重ねたことになるわけです。

 リード博士が帰国されて、一九三一年(昭和六年)にアメリカン・アイリス・ソサエティーの会誌に発表された「日本におけるあやめ類」と題された論文が、平尾秀一先生の翻訳で日本花菖蒲協会創立五十周年号に掲載されています。当時の花菖蒲の栽培地をくまなく訪問して、関係者たちの話を詳細に収録して、花菖蒲を外国に紹介した、最初の価値ある文献であります。今、私たちが読んでも花菖蒲のことが適確に」記述されており、大いに参考になります。

 文中の記述で、「日本から欧米にもたらされたあやめ類にはイリス・ジャポニカ(シャガ)、イリス・グラシリベス(ヒメシャガ)、イリス・テクトールム(イチハツ)などがあるから、欧米の園芸家も花菖蒲をそのままハナショウブとよぶのがよい。」「花菖蒲は日本からの最大の贈物である。長年にわたって数百の品種が作り出され、欧米の庭園に向くものも多い。」と花菖蒲のことを絶賛しています。
 小高園や堀切園などの花菖蒲園の紹介や、明治神宮や平安神宮の花菖蒲、神奈川県農事試験場(現大船フラワーセンター)や、横浜植木株式会社(花菖蒲を欧米に輸出したパイオニアー)のことなど、興味のある内容です。外国の方だからこそこのように広範に、客観的な目で観察し、調査できたのではないかと感銘しました。また花菖蒲に注ぐ深い愛情がうかがわれ、優れた先達の一人として記憶すべきと思います。

(右上写真は第1回花菖蒲鑑賞会の様子:会報創刊号より)