6月22日(火)東京駅までの所要時間を考えて、少し早めに家を出たこともあって、かねて事務局から指定のあった乗車列車より、一つ早い列車に乗って出発した。山形新幹線の赤湯駅に着いたとき、どなたかお仲間が一緒かと見渡したが、数人の下車客のなかには会員の姿はなし。待ち合わせの時刻まで余裕があったので、構内の案内所の親切なガイドに従って、駅前から車を拾って「熊野大社」へと向かうことにした。
熊野大社は大同元年(八0六年)平城天皇の勅命により、紀州熊野権現の御神霊を遷し再興し、イザナギノ命とイザナミノ命とスサノオノ命を祭神としている等、運転手の名ガイドを聞きながら、大きな銀杏の木のある境内に入る。
本殿は茅葺き屋根だが今にも崩れそう。お参りのあと社務所に寄り、朱印帳の記帳をお願いすると、「今日は神主が他の神社に出掛けており留守でして・・・。」と済まなさそうに話す巫女に「屋根の葺き替を・・・」と話すと、「茅がなかなか集まらないことと、屋根職人がいないことで、一年半ごとの葺き替えのはずが、もう何年も出来なくて・・・」と寂しそうな顔の答え。帰りの運転手との会話でも、「昔は繭の集積地として賑やかな土地だったのですが・・・。」人っ子ひとりいない道を駅にと戻る。周辺を歩いてみて、白壁の蔵を数多く見つけ、ありし日の面影を忍ぶばかり。 |
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熊野神社 |
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予定の列車で全員勢ぞろい。差し回しのマイクロバスで宿泊先の「はぎ苑」に到着。ここで荷物を預け、すぐ近くを流れる野川にかかる橋を渡ると、長井市のあやめ公園がある。
長井市職員の手塚さん、「長井あやめ愛好会」の井上会長に紹介され、市長からの歓迎の挨拶をいただく。園内は手入れもよく、「長井古種」をはじめ各種の花菖蒲が満開。とりわけ長井古種の展示コーナーには興味を引かれる。堪能して思い思いに今夜の宿のはぎ苑に戻る。広間で型通りの総会を済ませる。
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長井あやめ公園内の鉢物の展示 |
その夜開かれた愛好会の方々との懇親会の席で、いろいろな談話の中から地元の会員さんの工藤さんの花壇を拝見しようとの話が持ち上がった。
翌朝六時過ぎ、予約しておいたタクシーの迎えを受けて、有志八人で工藤さん宅を訪ねた。立派な塀に囲まれ、邸内に小川が流れ、地続きの畑に花菖蒲が立派に咲いている。お言葉に甘えて、各人幾つかの花菖蒲の苗を送っていただくことにする。
宿に戻り朝食も美味しくいただいて、手塚さんの案内で、昨日に続いて「あやめ公園」に行き、園内の花菖蒲を再度観賞し、後ろ髪を引かれる思いをしながら市内観光に。
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工藤さん宅にて |
最初訪ねたのが、文教の杜・木構造の「長沼孝三彫塑館」。静かな佇まいのなかに、氏の彫塑の数々が展示されていた。お茶の接待を受け、恐縮した。
因に、長井市の市章は、昭和二十九年の町村合併以来懸案となっていた。折角、デザインを公募しても適格作品なしとして、伸び伸びになっていた。そこで、この長沼孝三氏が一肌脱いで、花の長井市を象徴する「あやめの花弁」を図案化して市に提出。市側も」「期待通り」とこれを承認し、昭和三十八年に制定された由である。
続いて、市指定天然記念物の「草岡のサクラ」を観賞して「古代の丘」へ。施設館長の迎えを受け、説明を伺ったあと、縄文そば館で「あやめそば」に舌鼓を打つ。同行してくださった愛好会の方々の差し入れ「ナスの漬物や自家製の味噌を付けていただくキュウリ」の大喜び。ほんとうに心暖まるおもてなしに感謝しきり。竪穴式住居や土偶の広場で写真を撮ったりして時間を忘れる程。振興センターで、お土産を求める配慮もいただいて、手荷物一杯。
更に名物の「さくらんぼ狩」での一層の盛り上がりに大満足。赤湯駅に送っていただいて「つばさ一三六号」では、バラバラではあったが、ともかく座席も確保することができ、今回の観賞旅行を収束した。お世話になった長井の皆様、ほんとうに有難うございました。
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長沼孝三彫塑館 |
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長井市の天然記念物 草岡の桜 |
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