平尾先生の想い出
青花への歩み
会長 加茂元照
昭和三十年代の中ごろ多分一九六三年のハンブルグ国際園芸博覧会への花菖蒲出品のことで先生のお手伝いをしていたとき「加茂さん、浅妻船という古い花がありますね、あれ、特別に澄んだ浅黄色(浅葱色≒藤水色)と思いませんか?他の花と青の純粋さが違いますね、葉にはポツポツと斑点があって気になりますが」と問い掛けられました。「ええ、でもあまり丈夫ではないようですね」と気のない返事をすると、「浅妻船の子で伊豆の海(写真)というのが出来たから作ってみませんか」と一株分けてくださいました。
株が大きくなり花を着けはじめると驚きました。一つの花茎に幾つもの蕾が次々と七花も咲かせたのです。太い花茎の先端には三つ、その下の枝には二つ、そのまた下のえだにも二つで合計七花も咲くほどの多花性の花菖蒲は初めてでした。 色も澄んだ浅黄色で、一面に咲いた群落は、「伊豆の海」と言う名をよく表わしていると感心しました。葉には親ゆずりの斑点がありましたが株の勢いは抜群でよく増え、花期も約三週間と長く、花菖蒲園にはもってこいの性質を備え、短い間に全国に普及しました。
さて、その頃の私はほとんど花菖蒲園での農作業に追われ、文献にはあまり目が通らず、平尾先生が著書の中で、「伊豆の海」を肥後系に入れておられたことに気がつきませんでした。そして、「伊豆の海」は江戸系の「浅妻船」の子で、色も花形も主として「浅妻船」から来ているのだから江戸系だと思い、NHKの趣味の園芸の原稿にもそう書いてしまったのです。
その差に気がついた趣味の園芸担当者は平尾先生に電話を掛け、「伊豆の海」は肥後系なのか江戸系なのかと尋ねたそうです。そのときの先生の電話は衝撃的なもので忘れることが出来ません。
「加茂さん、NHKがどっちが本当なんだ、と聞くから言ってやったよ。著者の加茂さんが江戸系と書いたなら江戸系で良いではないか。私が実生を最初に見たときは肥後系と思ったから肥後系にしたが、何年かを経て次第に変化し、今の著者が江戸系と言うならそれで良いではないか。だいたいNHKは著者を軽く扱い、本来高級な園芸文化を低級通俗な番組に格落ちさせてばかりいる。あなた方NHKは知的暴力団だ!とね」
確かに当時のNHK趣味の園芸は平尾先生の気に入られるようなものではなかったのですが、そのように辛辣な言葉を投げつければ当然の反動があり、ご自分に不利なことも十分にご承知の上での毒舌には凄みがありました。
その後先生は青岳城、藍草紙、朝戸開、新朝戸開とブルーを追った品種を次々と発表されました。それらは千葉県の牧野善作さんの田圃で大量の江戸系、アメリカ系の実生を試みられた時代のものです。牧野さんの所に先生と泊めて頂き、朝早く東側の雨戸を開けたら目のさめるように鮮やかなブルーに輝く二株の三英花があり、思わず「素晴らしい!」と叫びました。すると先生は笑って「朝戸開と言うのはどうですか」と言われました。そして「同じ莢からの実生で、ほとんど差はないけど、まあ区別しておくか」と左の株に「朝戸開」右のもう一株に「新朝戸開」と札を立てられました。
朝食を終え、朝日が次第にさし込んで来るとブルーの輝きがうそのように消えて行くのを見ていると「朝戸開のように朝の美しさをテーマにした品種と反対に夜光の珠のように夕暮れの美しさを求めた品種があっても良いでしょう」とも言われました。
朝戸開はその後私の園でも毎年ブルーに輝く美しい姿をみせてくれました。ところが写真に撮ってみるとどうしても赤っぽい紫に写ってしまいます。先生が「シアンフィルターを使ってみたら」といわれフィルターをつけて撮ったのが今回掲載の写真で、花の色は本物に近い色に補正したのですが、葉が青っぽくなってしまいました。「花菖蒲のブルーを撮ろうとするとなぜ赤みが掛かるのか」についてはその後先生からフロリダ大学のマイケル カシャ教授を紹介してもらい「フィルムの感度は目と異なり、赤外線など人間の目に見えない低い波長の光も感ずるのだから、赤外線以下を切り取るフィルター(熱線吸収フィルター)を使うと良い」と教えられました。
ある時、平尾先生と朝戸開の写真を撮っていると一江君が、「これは朝戸開でなく、青岳城ではありませんか? 青岳城には、あまりはっきりはしないが白い糸覆輪状の縁取りがあり、朝戸開にはそれがないのと違いますか?」と鋭く指摘しました。先生は花をよくみてから、一江君の意見に「そうですね」と言われ、分けることに賛成されました。牧野さんの広い田圃での実生約十万株からの選抜は平尾先生ご自身で行われましたが、それを別圃場に移し、増殖、出荷したのは牧野さんであり、受け取って増殖したのは私ですが、その過程で微妙な違いを見分けられず、同じ交配からのよく似た別個体が混じった可能性があります。花太夫、千代の春、朝戸開などの中に良く似た別個体があったのはそのためと思われます。加茂荘で花太夫から分けられた別個体は新花太夫とされ、千代の春のなかの別個体は淘汰されています。朝戸開、新朝戸開は見分けがつかないから一緒にして朝戸開に統一することになりました。
協会の会合の席上、先生から頂いた「藍草紙セルフ種子」を播いた株の中で群を抜いて美しいブルーの輝く品種が出来たので先生に連絡すると早速来園下さり「これは素晴らしい」と言われ、肥後系「碧鳳」と命名されました。今回掲載した写真はそのとき写したものです。
この品種はセルフのためか残念ながら性質が弱く、数年後には退化がひどく、最初のころの見事さを失い、肥後系には見えなくなり、伊勢系かな?と思われるほどになりました。「伊豆の海」の場合も先生が最初に拾った時には花が大きく、肥後系に見え、数年を経て衰え、私の園に植えられたときは江戸系に見えるような退化があったのでしょう。「浅妻船」の持っていた青い色彩と株の弱さは関連があったのかも知れません。
「碧鳳」などの青系花菖蒲の色彩について先生との議論から生まれた本が「最新花菖蒲ハンドブック」で、同じ色彩系統の品種の写真を同じ場所に並べて編集し、品種の差を見ようとしました。以前に作られた「花菖蒲大図譜」では編集者の意見で、同じ色彩系統の花を同じ場所や隣合わせに並べず、必ず違った色の花を組み合わせたページ作りを行いました。これと全く違った方向の本を作ろうと話し合った結果です。このハンドブックは7千部印刷しましたが既に売り切れであり、小さい本でしたので機会をみてもっと立派なものを作りたいと思っています。こうして平尾先生のことを回想していると、先生の面影がすぐそこにあり、お亡くなりになって十年以上にもなることが、不思議な気が致します。
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