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左から 小林氏、平尾先生、鈴木氏、三池氏、小山氏、石山氏

私と花菖蒲

広島県 野津山士郎


  私が花菖蒲に魅せられたのは、もう三十年くらいも前になるかと思います。何処かの庭先に咲いているのを見てその美しさに惚れ、矢も盾もたまらず早速街の店頭でわずかの品種を買い求め植えたのが始まりで、それから病みつきになりました。丁度その頃NHKの趣味の園芸で花菖蒲が放送され、そこで紹介された花菖蒲を扱っている業者に早速注文して送っていただいたのです。当時家の周辺に休耕田がありましたので借り受け、テレビで教えていただいた事を守り大切に育てました。その後年々株も殖え、植え替えもこまめにしたので三百坪くらいの大花菖蒲園?となりました。特に「業 平」、「高嶺の雪」は見事に咲き、草丈も花も立派で、またその頃田畑に花菖蒲を植えている人がいなかったので、花好きの方から珍しがられ、株分けして、また切花も差し上げて喜ばれ、今もその頃のことが話題になり、嬉しい思いの花作りでした。 それから協会より送っていただいたり、三池さんから送っていただいたりで品種も多くなり、夢中で何年かが経ちました。が、昨今、歳とともに畑の手入れも充分出来なくなり、今は鉢植えだけにしました。しかし超高齢者の仲間入りしても、花菖蒲だけは作り続けるつも りです。したがって近頃では、花菖蒲のおかげで沢山の方々との出会いのあったことなど、なつかしい思い出話を老夫婦でしています。そのなかでも沢山のことを教えてくださった平尾秀一先生のことは、いつまでも忘れることはありません。


  平尾先生の思い出をお話します。私が初めて協会の懇親旅行会に参加させていただいたのは、永沢寺花菖蒲園でした。旅行は新入生で何もわかりませんでしたが、平尾先生は「広島から来られたんですね。」と声をかけてくださり、何かと気を使って下さったことが有難く、楽しい旅の始まりでした。その後も出来るだけ参加して、その地の名所旧跡などを案内してくださり、たくさん収穫があり見聞を広めることができました。

  また、こんな想い出もあります。箱根の小園で宿泊した時のこと、懇親会の席で、先生は立ち上がって「箱根の山は天下の剣」と歌いはじめられました。そうすると数人の方が一緒になって肩を組んで、まるで学生時代に戻られたように楽しそうに歌われ、明るい雰囲気で 皆も合唱したこともありました。
  また越後の豪農の館を見学したとき、邸宅内の囲炉裏を囲んで先生が四、五人の方と談笑しておられる所を私が通りかかりますと、先生が「私の家に来られたんだから、まあ、休んでお茶でも飲んでいきんさい。」と冗句を飛ばされたとき、私はふと、先生の姿が昔の温情ある庄屋の旦那様を思わせたのでした。その時に撮りました写真をご覧いただきます。この他にも数々の有意義で楽しい旅行をさせていただき、感謝しております。先生のご冥福をお祈りいたします。


  さて、現実に戻りますと、今は鉢作りだけしておりますが、年々数は減っても足腰が動く限り花菖蒲だけは続けて楽しみたいと頑張っております。 協会よりの旅行会の通知がまいりますと、もう一度は、もう一回だけでも行きたいなとワクワクしますが、高齢がつきまとっていますので、あきらめております。今は広島県の花菖蒲園めぐりを楽しんでいます。 花菖蒲協会のご発展を心からお祈りいたします。