トップページ > 目次 > 会報> 27号目次

高田あやめ苑の生い立ち                 

福島県会津高田町 馬場 啓介


文化の町・会津高田町
 高田あやめ苑のある会津高田町は、福島県会津盆地の南西、会津若松市から十キロの位置にある。町の中央にある岩代一の宮、会津総鎮守の伊佐須美神社と共に栄え、ジャンボ梅で名高い高田梅や、薬用人参の生産では、全国でも名高い純農村である。また、福島県に三っしかない国宝の『一字蓮台法華経』が、竜興寺にあり、そのほか国指定の文化財が数多く存在するので「文化の町」と言われている。
 最近は全国でも珍しい花を咲かせる「会津五桜」(古木)が有名になり、伊佐須美神の淡墨桜、法用寺の虎の尾桜とともに、花盛りには全国ツアーが組まれ連日七十台を越す観光バスが訪れるが、とくに伊佐須美神の社や宮川河畔公園に囲まれた高田あやめ苑の『あやめ祭り』は、東北三大あやめ祭りと呼ばれ、二十万人前後の観光客で賑わうようになった。


高田あやめ苑の生い立ち
 現在の「あやめ苑」のところは、依然は鬱蒼と生い茂った神社の杜であった。昭和四十五年ごろ、神社の都合で原生林を切り開いた土地を、何とか生かす方法はないかと、伊佐須美神社と町が考えついたのが都市公園である。伊佐須美神社より町が土地を無償で借り受け公園を作ることになった。しかし町としても予算が少なく出来るだけ町直営で造成することになった。

 失業対策事業の一環として造成が開始され、当時冬季間の除雪以外空いていた除雪車(ブルドーザー)二台で、池掘りから開始された。彫り始めてから一ヶ月後、池の形が出来たので試しに水をいれてみたら、ザルに水を入れたように一滴も水が溜まらなかった。地層が石河原になっていたのである。壁土を運び十五センチくらい敷き水を入れ攪拌したら、ようやく水が溜まってきた。
 最初はサツキ園と芝生の公園の計画であったが、池の端に杜若が一株残っていてきれいな花が咲いているのを見て、これはあやめが池に合うと、あやめ園に計画を変更した。この杜若は、記念苗として大切に保存され、今でも池の中州にある四阿の東側に植えられ、毎年花時にはきれいな花を咲かせ続けている。
 失業対策で働きにきたほとんどの人が暑い真夏に漆にかぶれ、病院に通いながら苦労して畑が少しずつ出来てきた。そして畑の整備が完了した後に寄贈された三百株ほどの花菖蒲苗を植えつけたが、二ヘクタールの広大な畑なので苗が足りず、予算もなくどのようにして殖やすか悩んだ結果、実生苗を作ることにした。そうして二年目には畑一面開花するようになり、大輪はなかったが良く群生し、すばらしいあやめ苑になった。
 見様見真似で交配したら、十種ほどのなかから一種だけ気に入った花ができた。これを「高田錦」と命名し、現在も大切に保存している。花菖蒲の栽培については何一つ分からずに携わって来たが、花色の素晴らしい花菖蒲の魅力に取り付かれ勉強を始めたが何分参考書も少なく、近くに教えを乞うあやめ園もなかったので、暗中模索の毎日であった。
 東京都の堀切菖蒲園や、山形の長井あやめ公園に行き、実際の花菖蒲の作りの参考にしながら、失対の人たちと苦労しながらあやめ苑を造成したのである。

 
 ほかのあやめ園にない、寒冷地で積雪一メートルを越す高田町独自の栽培法はないかと考えついたのが、農家畑で行っているマルチ栽培である。これを取り入れて見たら株分け一年目で背丈も高く、苗も太くしかも大株になった。水分の発散も少なく除草も簡単で、土も二年後も柔らかく利点も多いが、欠点もあった。ぼやぼや育ちのためか病気に弱く、また老化現象が早いような気がする。品種によっては三年目で地下茎が大きくなり衰弱する。今後の課題だと思う。今では長井あやめ園など東北各地でマルチ栽培を始められるようになった。情報を交換しながら共に研究して行きたい。


 昭和五十一年に失対の研修で潮来と堀切菖蒲園に行き、実に活気あふれるあやめ祭りを見て、「これは良いことだ」と思い帰ってから町の商工会に行き、町起しとしてあやめ祭りの開催を提案した。あやめ苑も年々充実して来て、多くの人が観賞に訪れるようになり、それでようやく昭和五十六年に第一回のあやめ祭りが開催された。併せて福島県も、宮川河川の整備に着手し、りっぱな河畔公園が出来、伊佐須美神社、あやめ苑、河畔公園と、会津を代表する観光地になったのである。
 町としても年々予算が増え、新品種が購入できたので、品種が百数十種に増えた。花菖蒲は連作障害や除草剤が使えないなど苦労は多いが、良く管理すれば梅雨どきのうっとうしい季節に、色とりどりの美しい花が咲く素晴らしい植物だと思う。


 ただ残念なのは、わが町には花菖蒲を研究する人がほとんどいないし愛好会もなく、後継者もいないことである。現在は毎年四月から十一月まで、私と高齢者事業団の女性三名で担当し、河畔公園は私を含め男子四名高齢者事業団の女性六名で管理しているが、何分広範囲なので手入れが行き届かず、苦労の連続である。あやめ苑の規模も小さく無料開放なので、町の予算も少なく、専門職員もいないので今後が心配でならない。
 早く後継者を育てるには花菖蒲協会会員の皆様に栽培の基本から教えていただき、好きな花菖蒲を勉強して苗の生育に一喜一憂しながら、身体の続く限り高田あやめ苑を見守って行きたい。