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私の新花と花の謎   その1.羽化登仙

  相模原市  清水 弘


 本年、写真の花が開花し「羽化登仙」と名付けた。中国に、「修行を積んだ人間に羽根ができて仙人となり天に昇った。」との故事があるが(羽化登仙という)、この品種の特徴となっている花弁化した雌ずいを羽根と見立て、この故事に因んで命名したものである。古花に「八重勝見」という品種があり、やはり雌ずいが花弁化し台咲きといっているようであるが、新花の方は柱頭の形がまだ残っている点が異なるようだ。また、これは江戸系の「万代の波」や肥後系の「白濤」を祖先に持っていて、「八重勝見」とは直接の関係はないようである。


花の器官形成


 花菖蒲の花を真上から観察すると外側から、≪花弁(外弁)→花弁(内弁)→雄しべ→雌しべ≫ という順番にきちんと並んでいるのは皆さんご存知であろう。ところが花菖蒲の奇花の中には、この順番や規則性に従わないものがいくつかある。例えば、今回紹介した「羽化登仙」は≪花弁→花弁→雄しべ→花弁≫ だし、一般の八重咲き品種の多くは≪花弁→花弁→花弁→雌しべ≫となっている。更に、伊勢系の「桜盛」という品種は、雄しべが完全に雌しべに変化して≪花弁→花弁→雌しべ→雌しべ≫となっている。これらは、全て突然変異体といってよいものだが、花菖蒲の花の器官形成は一体どの様な仕組みになっているのだろうか?
 この問題に対する回答の一部が、実は今から6年程前に発表されている。日本にも分布するシロイヌナズナという小さな双子葉植物を用いた研究から、花の器官形成の順番は、3種類の遺伝子機能の組み合わせで決まると考えられ、ABCモデルと呼ばれている。
       
       【ABCモデル】
       ホール:1   2   3   4
                B    B
            A    A   C   C
       器 官:がく片  花弁 雄しべ 雌しべ    

 簡単に解説すると、双子葉植物の正常花ではがく片、花弁、雄しべ、雌しべのある位置をそれぞれホール1からホール4と呼ぶ。ホール1の位置でA遺伝子が単独で働くとがく片が形成される。ホール2でA遺伝子とB遺伝子が共に働くと花弁、ホール3で、B遺伝子とC遺伝子が共に働くと雄しべとなる。ホール4ではC遺伝子だけが働き雌しべとなる。
しかしながら、単子葉植物である花菖蒲では、このモデルをそのまま受け入れることは出来ない。花菖蒲を含むアヤメ科植物では、がく片は花弁化して外花被片となっているので、次の様に考えるべきであろう。
             

       【花菖蒲のABCモデル】
       ホール: 1   2   3   4
             B   B   B   
             A   A   C   C
       器 官: 花弁  花弁 雄しべ 雌しべ
           (外弁)(内弁)

 花菖蒲では、B遺伝子がホール1の位置でも働いているので、緑色のがく片になるべきものが花弁化して、外花被片になると仮定すると説明が付きそうだ。
次に、突然変異体である花菖蒲の八重咲きではどうなっているのだろうか? これは、「ホール3でのC遺伝子の不活性化」ということで説明できよう。
              
      【八重咲き種】    
      ホール:  1   2   3   4
             B   B   B
             A   A   A   C  
       器 官: 花弁  花弁  花弁 雌しべ

 ホール3で働くべきC遺伝子が不活化しため、それと拮抗的に働くA遺伝子の働きがホール3にも出現し、その結果として雄しべが花弁化していると解釈できる。
それでは、「桜盛」における雄しべの雌しべ化(小生は、二重芯と呼びたい)は、どういうことであろうか? これは「ホール3におけるB遺伝子の不活性化」ということで説明がつく。

      【二重芯種】
      ホール:  1   2   3   4   
             B    B    
             A    A   C   C
       器 官: 花弁   花弁 雌しべ 雌しべ

 ホール3で働くはずのB遺伝子が働かなくなったため、ホール4と同様の雌しべの形成が起こっていると考えられる。
 新花「羽化登仙」の場合はどうであろうか? これは「ホール4でのC遺伝子の不活性化」と、未知のもう一つの遺伝子(X)の不活性化が関係している様に思える。
                
       【台咲き種】            
       ホール:  1   2   3   4
              B    B   B   B
              A    A   C   A
       器 官:  花弁  花弁  雄しべ 花弁     

 仮に、ホール4でC遺伝子の不活性化だけがおこっているとすると、A遺伝子だけが働くので花弁にはならず、がく片となってしまう。これは小生のまだ仮説の段階の話だが、B遺伝子と拮抗的に働くX遺伝子が存在するのではないだろうか?(胚珠形成に関わるD遺伝子が想定されているので、D遺伝子という名は使えない)台咲き種のホール4ではX遺伝子が働かなくなったため、拮抗的にB遺伝子が働いている。更に、C遺伝子も不活性化しているため、拮抗するA遺伝子の働きがホール4にも及んでいる。この二重の不活性化(二重の突然変異)の二次的な結果として、雌しべとなるべきところが花弁化したと考えると旨く説明がつくようだ。これに関連して、最近、加茂花菖蒲園の一江豊一氏が八重勝見の花粉を使って台咲きの品種を作出し始めたが、台咲きは優性遺伝するということだ。
 そうすると、X遺伝子とC遺伝子は染色体上のごく近い距離にあって強い連鎖を示しているのかもしれない。また、この連鎖のために今までX遺伝子が見つかっていないのかもしれない。以上をまとめると、「花菖蒲にはB遺伝子と拮抗的に働くX遺伝子が存在し、それがA、B、Cという既知の3つの遺伝子と共に、花菖蒲の器官形成に関わっている。」という仮説が成り立つようだ。そして、花菖蒲におけるABCモデルは、つぎのABCXモデルに修正した方が花菖蒲の変異性を旨く説明出来そうである。

       【花菖蒲のABCXモデル】
       ホール: 1   2   3   4   
             B    B   B   X
             A    A   C   C
       器 官: 花弁   花弁 雄しべ 雌しべ   

 最後に、桜盛に羽化登仙を交配したら、どの様な花が生まれてくるであろうか?
       
       【二重芯X台咲き】            
       ホール: 1   2   3   4
             B    B   X   B 
              A    A   C   A
       器 官: 花弁   花弁  雌しべ 花弁

 各遺伝子の優劣関係が未知であるので、すぐ次代には出現しないかもしれないが、雄しべがなく雌しべの内外が花弁で埋まった花が咲くであろう。