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平成九年度花菖蒲観賞紀行

 千葉県 齋藤憲嘉


 昨年の岡崎への観賞旅行の記事を書いて頂けないでしょうか。との事務局からの依頼を受け、ペンを執ることになりましたが、全く突然のこととて困惑しております。旅程を見て、その時を思い浮かぶまま書きましたので、記述がまとまらない所もあるかと思いますが、ご容赦いただきたいと思います。
 花菖蒲協会の旅行会には、昔(ニ、三十年前)ずいぶん参加致しまして、今更ながら参加された故人の方々が走馬灯の如く浮かんでは消え、往時を忍んで感慨無量です。


 花の美は自然美ばかりでなく、それに人文の美しさが加わって、いっそう見事になって来るものです。また、それは常には存在せず、季節をむかえて忽然として目を見張る華麗な姿を現すことに、力強い印象美が感じられます。これは丁度花菖蒲にあてはまるのではないかと常々思っております。この美しさを歴史と合わせる「花菖蒲と岡崎城跡めぐり」ということで、家康公と三河武士のふるさとを訪ね、昔日の影を映す花菖蒲観賞の旅で、興味が盡ない感がします。

 
 日程は、六月八日から九日、名鉄東岡崎駅集合となっており、旅馴れてはいるものの、若干不安でもあったので一時間も前に到着してしまい、駅前を散策する羽目になりました。
東岡崎駅からは岡崎ハナショウブ愛菖会の案内で、岡崎東公園内にある花菖蒲園及び花菖蒲展示会場を観賞させて戴くことになりました。

 展示されていた鉢物は、協会の会員からのものもありましたが、地元愛菖会々員の努力の結晶とも言うべき力作があり、今日の観賞に三河武士の風貌を感じさせるかのように、今を盛りに咲いており、また、切り花展示は竹細工の花器を利用しており、まことに当を得たものでありました。ただ、展示する際の鉢は、花菖蒲を引き立てると言うか、観賞価値を上げるという点からも、出来るだけ鉢の種類を統一することが、若干の課題ではないかと思いました。
 花菖蒲は東公園内に造られていますが、聞くところによりますと当初は実生園からスタートし、漸次選抜したものに切り替えていったとのことです。しかし今では園の片隅に往時の名残が感じられる程度で、ほぼ品種物が植え付けられていました。また、私は岡崎ならではの品種が植えてあるのではないかと期待していたのですが、その期待は残念ながら消えました。岡崎にある花菖蒲園として独特なものにするためにも、今後はある程度の岡崎作出の品種が見られる園にしていくと良いかと思いました。
 
 尚、このような文章を書く場合、その園の概要や沿革、品種数、何十万株が何ヘクタールに植栽されていて、どのような特徴を持つ園であるかを記載しなければならないと思いますが、その時は唯漫然と旅行会だからという訳で、そのような事も聞かず、花菖蒲は美しいもの、奇麗なものと決め込んで、ただ漫然と行ってきたことを今更ながら後悔しているような訳です。しかしながら、園の整備補修、栽培管理、菖蒲まつり実行委員会など、関係者の皆様の努力が感じられました。今後着々と成果が上がり、市民の憩いの場、観光の活性化の一助となって行くことでしょう。


 さて岡崎は、三河国の守護代西郷禅正左衛門稠頼が康正元年にこの地に城を築き、のち松平氏がこの地を治め、江戸幕府を開いた徳川家康が生まれた地として知られています。現在の岡崎城天守閣は、昭和三十三年に復元され、周囲は岡崎公園として、市民の憩いの場となっています。また、家康産湯の井戸、遺言の碑、「三河武士のやかた家康館」などの施設も充実しており、西三河の中心的な観光拠点でもあります。岡崎の城を訪れ、私は、徳川家四天王の酒井氏の家紋が私の家の家紋と同じ酸漿(かたばみ)紋であることや、家康公の人となりや松平家のことなど、遠い昔の時代へと想いが走っていくように感じられました。

 第一日目は、何となく時間との競争で慌ただしさを感じましたが、ようやく宿泊する「岡崎ニューグランドホテル」に到着したのが十七時前後で、ほっとしたのもつかの間、くつろぐ暇もなく本年度の総会及び懇親会が始まりました。懇親会の席で、私は何十年ぶりで加茂会長とお話ができることを前から楽しみにしていたのですが、聞けば会長も花菖蒲園々主として連日の忙しさでまいってしまったとのことで、懇親会の席上にも姿はなく、非常に残念でした。

 型通りの総会終了後懇親会に移り、本日の参加者全員の自己紹介等があり、特に岡崎ハナショウブ愛菖会の紅二点、加藤洋子さん、杉本敏子さんによる地元岡崎の「五万石踊り」の披露があり、宴もたけなわになり、あちらで一かたまり、こちらで一かたまりと、それぞれ花の話し、昔の思い出話しにと花が咲き盛り上がりました。最後には地元の会員の方々を先頭に「五万石踊り」を皆で踊り、時の経つのも忘れ岡崎の夜を存分に楽しむことが出来ました。

 ここでもう一つ、宿泊したホテルの目玉であろう「トロン温泉」についてお話します。トロン温泉の由来は、今から二千年前、ドイツのバーデンバーデンにおいて世界一の名湯と言われる「トロン温泉」が発見され、戦いで傷ついた体を癒す湯、体調を整える湯、美肌をつくる湯、痛みを取り去る湯として珍重され、世界一の保養地として名声を博しました。このトロン温泉の泉質と同じものにしたものが、最近日本でも「トロン温泉」としt普及していますが、岡崎のこの展望大浴場からの眺望は、下を流れる乙川の清流や岡崎公園、またライトアップされた岡崎城と共に岡崎の夜景が一望されて、たいへん素晴らしい眺めでした。


 第二日目の六月九日は昨夜の疲れもなく、朝食もそこそこにホテルを出発し、松平家発祥の地、「松平郷」を訪れるという趣旨で、一時間ほど市街地を走り、トヨタ自動車の本拠である愛知県豊田市の西に位置する丘陵地の山村へと向かいました。
 松平郷は、松平氏の菩提寺として寺領百石を与えられ、明治維新まで将軍家の厚い保護を受けていたと伝えられる「高月院」を中心として、松平家初代の松平太郎左衛門親氏、二代泰親、四代親忠婦人の墓所など、松平氏発祥の地としての資料や史跡が多く残されております。当日は折り悪く雨となりましたが、葵の紋が付いた石塀の前に花菖蒲が植え付けられており、雨に濡れた花々は昔日の松平家をしのぶに十分な雰囲気をかもし出して、過ぎし人々の声など聞こえる錯覚さえ感じました。
 
 次の旅程は、松平郷からバスで二十分くらいの所にある足助町の香嵐渓と三州足助屋敷でした。この香嵐渓のもみじは、三百六十年前に香積寺の三栄和尚がこの地に植えたのが始まりと言われており、大正時代に地元の人々の手により飯盛山にも植えられ、昭和五年に香積寺の「香」、嵐気の「嵐」を取って「香嵐渓」と名付けたそうです。三州足助屋敷は香嵐渓の中にあり、機織り、紙すき、鍛冶屋など、かつての山里の暮らしを再現しております。現在都会で暮らす私達にとっては、うらやましい生活環境でもありました。

 旅程の最後は、岡崎市にある徳川家の菩提寺、「大樹寺」に立ち寄りました。この寺は「成道山松安院」と号し、松平四代親忠が文明七年に建てたものと言われており、家康が桶狭間の合戦で織田勢に敗れた後この寺まで逃れ、先祖の前で自害しようとしたとき、住職の登誉上人にさとされ、「厭離穢土 欣求浄土」というその後の人生観を授かった所であると伝えられています。
 今回の旅は、特に花菖蒲中興の祖である菖翁が、松平一統の人物であるということから、岡崎の花菖蒲園と共に松平家ゆかりの史跡をめぐる旅となりましたが、その思い出は私の心に深く刻み込まれ、機会を得てこれらの遺跡をまた巡りたいと思う衝動にかられているのは、私一人ではないでしょう。


 大樹寺での解散の後、一江理事長の御厚意により加茂花菖蒲園を観賞できる機会があり、数人の会員の皆様と同行しました。加茂花菖蒲園では加茂会長の体調も未だ万全ではなく、お疲れの様子でしたが、奥様などのお世話になり、無事帰宅致しました。ありがとうございました。

 本年度の総会兼旅行会は、会津高田地方ということで、私の小学校時代、学童疎開した地でもありますので、是非参加したいと考えております。