トップページ > 目次 > 会報> 26号目次

『実際園芸』より

国粋的名花としての 花菖蒲の作り方

  堀切小高園園主 小高伊左衛門


 「小高園は、現在の東京都葛飾区堀切に、江戸時代の天保年間に開園した、我が国最初の花菖蒲園です。この花菖蒲園は、昭和十七年(一九四二)に閉園しますが、天保初期の一八三十年から数え、実に百年以上、堀切一、つまり日本一の花菖蒲園として栄えました。
 この文章は、小高園園主の小高伊左衛門(代々世襲)が、昭和初期、『実際園芸』にその栽培法を紹介したものです。現代の作り方と多少違った所はありますが、花菖蒲を同じ場所で、長年作り続けるためのヒントを与えてくれます。」


(本文)

 花菖蒲の栽培歴史につきましては、私には詳しいことはお話しできませんが、三好博士の御著書によりますと、延寶、元禄、享保年間に、花菖蒲を栽培したと云う記録がありますから、今から千年以前から栽培されていたものと思われます。(註、千年というのは間違いかと思われる。)
 しかしその栽培が盛んになりましたのは、今から百五十年位の事でありまして、当時旗本で松平左金吾(号菖翁)と呼ばれる人が、江戸で初めて花菖蒲を作り出し、その栽培品を、私共の先祖が、当時堀切村と呼ばれた所で栽培を初め、以来代々その業を継続して、江戸の繁昌時代には、諸大名の屋敷や八百八町へ挿し花や盛花として売出し、代々の伊左衛門を襲名した当主が種類の収集に努力し、現在では百八十種類以上の品種を算しております。
明治十年には、米人の経営しておりました、横浜百番館スーダデルマン会社の手で、花菖蒲根数万株を輸出しました。これが我国から外国へ花菖蒲を輸出した嚆矢だと云われております。
尚当初は、花時は花時の遊園地として、徳川時代には将軍家が御立寄りになったり、大名旗本、文人墨客の来遊があり、明治二十年六月には先帝陛下が行啓遊場された事も御座います。



栽培に適当な土質と地勢
 花菖蒲を作るのに適した土質は、荒木田質の粘重土で、表土が深い所がよろしく、一般には水草のように考えられておりますが、陸作りでもよく発育するものであります。
 私共のように、営業向けに大栽培を致しますには、水田作りに致しました方が花が硬く上がり、成績がよろしいものでありますが、素人の方が家庭向きに少数のものを栽培されるには、陸作りの方が腐敗させる危険がなくて安全であります。特に花菖蒲用の園池を造る場合には、水が溜まる様に、一尺位掘り下げまして、その中の土を二尺位の深さに掘り返し、土塊を細かに砕いたら、その中に元肥として、人糞尿や、魚肥、油粕、締粕等を施し、水を引いて、土塊をよくならし、この中へ稲苗を植え付けるように、前から選定した根株を植え出すのであります。
 陸作りの場合でも、日当たりのよい所がよろしいのですが、余り乾燥に過ぎる所は発育がよろしくありませんから、なるべく水辺に近いような場所を選ぶ方が、安全であります。



実生法と株分け繁殖法
 花菖蒲を繁殖するには、実生法と株分け法との二法がありますが、実生法は新種を作る場合特別に採用されるもので、一般には、株分けで繁殖されております。
実生法は、秋彼岸頃種子を採りまして、それを採播きにしますと、間もなく発芽し、翌々年の五月には、最初の花を見られるのであります。株分け法は一般に行われるもので、元来花菖蒲は一定の場所で、そのまま四五年も続いて培養しますと、根株が段々に枯死したり、腐敗したりして、種絶しになる恐れがあります。ことに優良種はその危険が多いものでありますから、遅くも四五年目位には根分けをして、移植する必要があります。
 これを行うに最も適当な時期は、六月中旬から七月上旬まで、丁度花が終わってからがよろしく、古株を掘り起こし、水で古土と古い髭根を洗い落とし、丈夫な芽を一株に四五芽位づつ付けて根分けをし、植え付けてから苗が風で吹き倒されないよう、葉を一尺内外に切りつめます。
 これを定植するには作幅を三尺位にして縄を張り、縄の両側の土を盛り上げて、七八寸幅の畝を作り、株間五寸位に互の目に植え付けるのであります。この時特に注意せねばならぬ事は、種類の配合でありまして、これに注意致しませんと、開花期に色彩の調和が引き立たず、菖蒲園としての鑑賞価値を下落させます。元肥は植え込み前に、土を十分耕転して施し、植え込みの時の覆土は、種類によって一定しませんが、概して深植えのものに失敗が多く、浅植えの方が成績がよろしい様であります。


植え付けを終わってからの注意
 移植を終わりましたらば、花時ほど水を沢山に引く必要はありません。園池に亀裂を生じない程度に水を湛えない方がよろしく、植え付けの時に出来た畝と畝の間に、自然に出来た溝に、水が溜まる位で十分であります。余り水を多く湛えますと水が熱し、そのため根株を腐らせる危険があります。移植した年は元肥だけで追肥は別段与えず、除草に注意します。
移植してから、半ヶ月め位から新しい葉を出して、十月上旬頃までは青々としております。冬は別段除草の設備を要しませんが、促成を行う場合には覆いを致しますと早く芽が動き始めます。



肥料を与える時季と分量
 松平菖翁の説には、人糞は塩分を含むので、花菖蒲の肥料として不適当だと云はれておりますが、私の所では人糞尿を専用に致しておりますが、少しも差し支えない様であります。
 元肥は移植の前に、人糞尿を一反歩当り百荷位施します。追肥としては、寒肥を一月から二月頃に、同じく人糞尿を一反当り五十荷施し、芽肥として四月中に三十貫、花が終わった後で同じく三十貫を施します。人糞の他、締粕や、大豆粕、魚肥等を使用してもよろしいのであります。
 寒肥を与える時には濃厚なものを用いますが、芽肥の時期には若芽が地上五六寸抽出て居りますから、希薄にしたものを与えなくてはなりません。
 花肥は、一年の役目がすんだ後の衰弱を補い、翌年の花期に、花が勢いがつく為に与えるのでありますから、七月中旬頃、花がどの種類も残らず咲き終わった頃、忘れずに与えなくてはなりません。



灌水と除草の注意
 前にものべましたように、水田作りにする場合には、灌漑が自由に出来るように初めから設計する事が大切であります。六月の下旬頃、花が終わってからは、翌年の三月上旬まで余り水が必要でないもので、夏の間も水田に亀裂が生じない位で十分ですが、三月の中旬頃から多少水を吸い入れますと、花菖蒲全体が丈夫に育ち、花茎が硬く上がるのであります。ことに花の盛りには水を一杯に湛えますと、花や葉が水に映って一層美しさを引き立たせますから、四月五月、六月中旬頃は、水を張る方がよろしいのいであります。
 畑作りや盆養のものは、水分が十分に与えられませんので、花菖蒲全体が軟弱で育てられ、葉先がなよなよして一種の風情がありますので、地方によっては陸作りのものを好む所もあります。
雑草は稲作同様に、春の末から夏にかけて随分発生するものですから、注意してこれを除き、ことに優良な種類には注意が肝要であります。水面に発生する水藻や浮草の類も、園池を冷やして花菖蒲の発育に害を与えるものであります。


どのような種類が好まれるか
 花菖蒲としては出来がよく優良な花と云われるものは、総体において草丈が高くて丈夫なもので、葉は剣形で尖端の垂れないもの、花が大輪で受咲きのもの等があります。花の色には赤が一番尊ばれ、その他紫、白、水浅黄、黄、筋入等があり、弁の類にも三弁、六弁、九弁、牡丹咲、狂咲等があり、その外変り咲きとして五弁、玉咲き、爪咲き、段咲き等があります。現在ある種類は百八十種類以上を算しますが、その中で特に優良な品種を挙げますと、早生種では、初霜、萬里の響、蜀紅の錦、滋賀の浦波等がよろしく、陸作りには、真鶴、笑布袋、霓裳羽衣、立田川等適当であります。一般の水田作りには、花笠、雨後の空、花御所、大江戸、七寶、王照君、酔美人、大盃、春日野、和歌浦、扶桑、銀玉等の優品があります。


切花荷造り其他の手入れ
 害虫は他の花卉に較べますと少ないものでありまして、水田作りのものでは、ズイムシが発生することがあり、畑作りでは、ゴマのような細かい羽虫が発生することがありますが、被害はどちらも大したものではありません。株の繁殖は一年で倍くらいになるものでありますから、切り花としても実行次第で有利なものですが、価格が変動し易く、盛花期になりますと急に下落します。