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わが家の花菖蒲

    埼玉県 市川忠治


 会報への原稿を、何でも良いから出してもらいたいと言う通知をうけまして、私もその気になり、ふり返って協会の通知の綴りをひもといて見ますと、私の所にあるものは、1番初めの号で昭和59年頃のもので、数えてみますと14年ほど前になりますが、その頃は我が家には花菖蒲は殆どなく、たまたま近所の家や、よその家に出かけたときに、時々見かける花菖蒲の花に魅せられ、とくに家内が花が好きで、是非あのきれいな花菖蒲をわが家でも作りたいということで、集め始めたわけです。たまたま花菖蒲協会のあることを何かで知りまして、加入させて戴き、それから明治神宮の互礼会や研究会にも出席させていただき、そのうち毎年の旅行会にもできるだけ出席させてもらったわけです。


 協会に加入させてもらったお陰で、次第に色々な良い花の品種も集まりました。私の家は農家で畑もありますので、植え替えの折りは畑へ植え出すので、次第に量もふえて行き、捨てるのがもったいないようになって来ました。長瀞の不動寺にはトラック一台も寄付した事もあります。

 そのうち農協でインターの近くに直売所が出来たので、そこに花菖蒲の季節には、切り花を出荷しましたら、よく売れました。また、植木のコーナーも一区画借りましたので、ポットの苗を出荷しましたら、これも良く売れました。「七彩の夢」とか「愛知の輝」などは、特に人気がありました。そうした良い花が、町のあちこちの庭にも見られるようになりました。

 そうするうちに、花菖蒲は殖やす気になればどんどん殖えるものだから、これは良いというので、真似する人も出来てきました。直売所では他の花も増えてきました。最近では花菖蒲の切り花をどっさり持って来る人もいるので、もう切り花は出しても率に合わなくなって来ました。またポット苗を出す人もたくさん出て来ました。品種の名前を付けて出しているところは私だけで、他の人は単に花菖蒲とだけ書いて出しています。しかし、買う人はそんな札落ちでもそれ程気にしないようです。私も一時はポット苗を百以上も作って出した事がありますが、もうこちらも70代の半ばを過ぎ、仕事が大変で負担になって来ました。植木のコーナーも昨年よりはその権利を放棄してしまいました。農家なので他の仕事もあり、花菖蒲ばかりにかかわってはいられません。でも、気に入った良い品種だけは残したいと思って、庭の一番眼の止まる所に集めて、時期には楽しんでいる。写真にあるのはその一部です。
時期には家内が女友達を集めて花見会をして、おしゃべりしたりする時もあるし、家へ入る道が長く、そこにも一列植え付けてあるので、時期には美しく開花します。


 いづれにしましても、もういろいろな役職、仕事等も引退作戦ですが、花菖蒲は最後まで続く限りきれいに作って、この世を引退してゆきたいと思っております。
(1998年1月12日)