トップページ > 目次 > 会報> 26号目次

花菖蒲品種改良の実際(その一)

  加茂花菖蒲園  一 江 豊 一


はじめに
 私は加茂花菖蒲園に勤め、花菖蒲の品種改良に携わって年以上になりました。これまでに得た品種改良に関するノウハウを、何回かに分けて、なるべくわかりやすい形で紹介しよてみうと思います。
 と申しますのは、品種改良ほど面白い分野は他にないと感じていますし、なるべく多くの人が品種改良に取り組み、花菖蒲がますます発展する事が何よりも望ましいと考えているからです。



品種改良はやさしい
 育種とか品種改良というと、特定の人にしか出来ない難しい事のように考える人が多いようです。けれども、実際には特殊な技術を必要とする部分はまったくなく、ただ単に交配して種子を採り、実生からスタートして栽培を行うだけなのです。
 種子からの栽培は、最初の播種と初期の植え替え作業が加わるだけで、その後の管理は一般栽培と何ら変わりません。さらに、実生苗(種子から育てた苗を実生といいます)は株分け苗よりも丈夫で育てやすいのが普通ですから、株分けで花菖蒲をきちんと咲かせられるだけの栽培能力があれば、誰でも品種改良を行うことが可能です。
 交配に関しても、気に入った花の花粉を別の花の雌蕊に付けてやるだけの事で、花菖蒲の種子を得るのも至って簡単です。



園芸の最大の醍醐味は品種改良に有り
 花菖蒲は、交配から実生開花までが2年と短く成果がすぐに得られますし、栄養繁殖が出来ますから煩雑な固定作業も必要ありません。よって、選抜した優良個体がある程度の数に殖えさえすれば、即、品種として確立することが可能です。ですから、一般趣味家が改良に取り組むのには、最も適した植物と言えます。
 古くからの品種をいかに上手に咲かせるかという事も花菖蒲栽培の楽しみの一つではありますが、自分の交配した実生が様々な花を咲かせ始めた時の面白さは格別です。実生は、同じ親から出たものであっても、まったく同じ花は一つとしてなく興味が尽きません。


まず種子を蒔こ
 品種改良を行うには、変異を拡大する目的から実生を行います。花菖蒲の栽培が始められた極く初期の改良にしても、野生種(=自然実生)の中の変わり者を集めることから始まったと考えられます。栄養繁殖を行っている中で起こる突然変異(芽変わり)は、頻度が極めて低く、気まぐれなので、改良を行うための有効な方法と考える事は出来ませんから、やはり、種子を蒔くことが品種改良の大前提といえます。
 では、種子による繁殖が、なぜ、変異につながってくるのでしょうか? それは、種子が出来る過程の中で、遺伝子群の分配と編成組み替えが行われるからです。種子の出来る前段階として、メス親とオス親の遺伝要素がそれぞれ二分されて、配偶子(卵細胞と花粉)が作られます。両親の遺伝要素の分かれ方は、無数の可能性があり、作られる配偶子は同じ親のものでも一つとして同じ物はありません。一つとして同じ物がない卵細胞と花粉が受精して種子が出来るのですから、当然の結果として、同じ莢からの種子であっても様々な花が咲く事になります。



花菖蒲の種子とは
 野生の状態のノハナショウブは、種子により繁殖していて、趣味家が行うような株分けによる栄養繁殖が行われる事は、まずありません。種子は軽く水に浮き、流れによって拡散します。
 はっきりとしたデータは持っていませんが、種子には休眠があるようで、とり蒔きでは発芽のそろいが悪い事が観察されます。自然状態では、この性質によって、大部分の種子が翌春に発芽するようになっています。
 カキツバタやキショウブでは、休眠がはっきりとしていて、種子が湿った状態で、ある程度の低温期間にあわないと発芽しないようになっています。カキツバタの種子は湿らせたまま冷蔵庫に保存して播種すると、一斉によく発芽しますが、乾燥保存した種子は発芽率、揃い共に悪いのが普通です。
 花菖蒲の種子は一莢に数十粒〜二百粒程が入っていますから、一度に大量の苗をほしい時などには、品種改良を兼ねて、実生を利用するのも一つの方法です。
 種子は高温に弱く、常温保存では夏を越すと発芽率が極端に落ちてしまいます。


どんな種を蒔くか(交配と自然結実)
 花菖蒲は放任状態でも比較的よく結実する園芸植物ですから、その種子から品種改良をスタートすることも可能です。しかし、やみくもにこれらの自然結実種子を蒔くよりも、親株を選定して交配した種子を蒔いたほうが、良い花が出る確立が高くなることは、確実です。その差は予想以上に大きく、少なくとも十倍、場合によっては百倍以上改良の効率が違うように思われます。土地がいくらでもある場合には、自然結実でもなんでも、とにかくたくさん育ててみるのも良いでしょう。けれども、場所と栽培の手間に制限があるのが普通ですから、交配種子からスタートするほうが賢明です。
 自然結実の種子からでも良い花が得られることはありますが、概して、野性的なシンプルな花が咲くことが多いようです。肥後系などの極大輪品種は自然に結実することが少ないので、発達した花型の新品種を目的にする場合は、どうしても交配することが必要になります。



交配してみよう
 交配をした方が良いことは理解して頂けたと思いますが、実際の交配を行なうためには、あらかじめ、方法を知っておかなければなりません。ほら、やっぱり交配は面倒くさい、と思わないでください。要は、トラマルハナバチが行っている媒助を意図的に行うだけの話です(本誌ページ「花菖蒲とトラマルハナバチ」を参照してください)。


花の構造と交配の方法
 花の構造: 花の中心にある雌シベの先が3つに分かれていて、その先にシベ片があり、シベ片の基に花粉の付く柱頭があります(前ページ参照)。開花一日目には柱頭は開いておらず、二日目に受粉しやすい形に開いてきます。雄シベは、雌シベの下に隠れています。

袋掛けは不要
 花菖蒲にはトラマルハナバチ、ミツバチ等がよく訪れ、これらの昆虫が花粉の媒介を行なっていると思われます。よく観察していると、これらの虫たちは、花弁の基の黄色い部分を目当てに飛んで来て、蜜を吸うためにめしべの下に潜り込みます。この時、彼女らの背中に花粉が付き、その花粉で、その後に訪れる花に受粉が行なわれる仕組みです。よって、この花弁を開花前に取り除いてしまえば、媒介昆虫にとっての目標が無くなるので、訪花がぐっと少なくなります。また、足場が無くなるため、媒介昆虫の背中に付いている花粉が交配しよとうする花の柱頭に付く可能性は、ほとんど無くなります。ですから、特別な場合以外では袋掛けの必要はありません。
 又、100%確実な交配種子を取る必要がないなら、開花1日目のまだ開いていない柱頭部分に受粉してやれば、大部分のがこの花粉で受精が行なわれてから、柱頭が開くようになるので、ほぼ目的の種子を得ることができます。この場合には、花を壊す必要が有りませんので、花を鑑賞しながら交配採種が可能となります。


交配 
 交配の方法は、ピンセットや爪楊枝で希望品種の花粉を選定した雌親の柱頭に付けてやるだけです。開花1日目に交配する場合は、柱頭をそっと開いて花粉を押し込むようにします。
 交配が終わったら、ラベルに交配日、交配親を記入して、花首に付けておきます。このとき、1番花か2番花かどちらに交配したか分かるような形でくくり付ける事が大切です。ラベルは、ビニール袋を帯状に切ったものに油性マーカーで書くのが簡便です。


交配親の選定
 花菖蒲は、花の構造からしても分かるように他殖的な傾向が強く、大抵の品種が遺伝的に固定していないので、その実生は往々にしていろいろなタイプの花が混在することが多いようです。とは言っても、やはり親に似たものが多いのは当然で、良い親からは良い子供が出る可能性が高くなります。良い親とは、品種改良の目的によって違ってきますが、一般的には育種家の気に入った品種が選ばれることになります。
 また、種子の採れにくい品種も希には在りますが、あまり深く考えず、気楽に始めてみることをお奨めします。



花粉を保存しよう!
 花菖蒲の開花は2〜3日と短く、早咲きと遅咲きでは一ヶ月近くも開花期に差があるため、交配しようと思う花が同時に咲かないケースが多く見られます。また、花粉は水に濡れるとすぐに死んでしまうため、天候の具合により、思うようにかけられない事も稀ではありません。
 そのような場合にも確実に交配種子を得るためには、花粉を保存するのが有効です。花粉は、葯から取り出して、乾燥剤と共に密封容器に入れて冷蔵庫で保存すれば、1カ月位は充分に受粉能力を保ちます。



実生の育て方

採種
 種子は、交配から〜日で発芽能力を持ち始め、〜日で完熟となります。花菖蒲の果実は先が少しづつ裂けるだけなので、カキツバタのように、すべての種子じきにこぼれてしまうことはありません。けれども、あまり長く放置すると、風で種子の大部分がこぼれたり、雨に濡れて果実の中で発芽が始まったりすることもありますので、完熟近くなったら時々見回り、熟した果実をラベルと供に採種します。

播種
 採種してすぐに蒔く秋蒔きと、種子を保存しておいて翌春に蒔く春蒔きがあります。
 秋蒔きは、発芽の揃いや発芽率が悪い欠点がありますが、初花の開花までに株を大株にできる利点があります。但し、発芽から冬の休眠までの期間が短い寒冷地では、極端に小さな株で休眠してしまう為、冬期に枯死する危険性があります。
 春蒔きは、播種が遅れると翌年の開花率が悪くなりますので、加温室やビニールフレーム、保温マットなどを利用して、早目に蒔くほうが良いようです。
 播種は、肥料気の無い用土を使い、種子がようやく隠れる程度に覆土します。水は、表面が乾き始めたら、如露でかけるようにします。水を切らすのは禁物ですが、腰水は発芽、生育共によくありません。


育苗
 本葉3〜5枚、草丈5〜センチで小鉢(6〜のポリポット)に1本づつ鉢上げし根がまわったら、本鉢に鉢上げ、または、圃場に定植します。
 春蒔きの場合、5月〜7月頃に定植することになりますが、この時点では、株分け苗よりも小さいのが普通です。けれども、丈夫な実生は、じきに株分け苗を追い越して、秋口には立派な大株になります。
 実生の生育は旺盛ですから、肥料は多めに与えます。
 定植後は、一般的な栽培と同様の管理を行ない、翌年の開花を待ちます。


品種を見極める目を持とう!
 開花選抜: 育種作業の中で最も楽く、育成者の考え方の違いがはっきりと表れる仕事です。次々に咲いてくる実生の花は、千差万別で興味が尽きません。特に、今迄に見た事のないような素晴らしい花が咲いたときの感激は格別で、これが育種をする者の最大の特権と言えます。
 自分の気に入った花を選抜して新品種の候補としたり、次の交配親に使ったりします。基本は自分の好きなものを残して、不要なものを処分します。
 自分ではよいと思っていても、すでにそれより優れた品種が存在していたり、珍しいと思ったものが、ありふれていたりすることが、よくあります。これは、選抜をする際に今まである品種の大凡のレベルを知ら無かったことが原因であると考えられます。
 多くの品種を栽培している花菖蒲園にいったり、花菖蒲をよく知っている人の意見を聞くなどして、品種を見る目を養う事が優れた品種を選抜する能力につながります。品種に関する知識が豊富になると、自然に公正な判断が出来るようになります



数は多いほどいいの?
 品種改良を始めるには、広い栽培面積が必要と考える人が多くいます。
 確かに面積が広く、扱う実生の数が多くなれば、よい品種が出来るチャンスは大きくなります。けれども、ただ漠然と個体数を増やすだけでは効率は上がりません。たとえば、同じ組み合わせの交配種子をいくらたくさん播いても、同じような物しかえられません。個体数を増やす場合には、交配数も増やさなくてはならないのです。より広い変異を考えるならば、交配に使用する親品種も同じものばかりではなくて、よりバラエティーのある品種を選ぶ事が重要になります。
 次回以降で説明しますが、ポイントを押さえて効率のよい交配を行えば、実生の数が少なくても成果を上げる事は可能なのです。


おわりに
 
品種改良で最も大切なのは、とにかく始めてみる事です。
 実生をしてみれば、世代とともに花菖蒲が次第に変化し、進歩して行くことが観察できます。それが花菖蒲の発達の歴史そのものである事が体感できる筈です。
 また、品種改良を手掛けるようになると、花菖蒲を見る目や園芸自体の捕らえ方も変わってきて、より深い楽しみ方が出来るようになる事請け合いです。