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 ペーン賞について

                       加茂花菖蒲園  一江 豊一


W.A.ペーン アメリカ花菖蒲協会会報より
ペーン氏の代表作  イマキュリートグリッター
  アメリカの花菖蒲の新品種に送られ る最高の賞は、ペーン賞である。ウイリアム・A・ペーン氏は170品種にのぼる 新品種を育成し、その全てに付いて詳細な記録を残し、アメリカの花菖蒲品種改良の先駆者的存在であったために、 最高の賞にペーン氏の名が付けられたものと解釈していた。もちろんそのこ ともあるが、それ以外にも理由がある と言う話を聞いたので、ご紹介しよう。
 マックィーン氏が書いた世界初の英文の花菖蒲専門書『TheJapanes Iris』 によれば、アメリカヘの花菖蒲導入は、 Thomas Hogg.Jrが1869年頃に日本から5品種をニューヨークにある親族の種苗商に送ったのが始まりだそうだ。 その後1900年代初頭には横浜植木の営業所がニューヨークに置かれて、そこ から多くの花菖蒲が販売された記録が 残っている。

 日本において、第二次世界大戦は、花菖蒲に非常に大きな打撃を与えた。戦前まで 作り続けられてきた貴重な品種の内で戦時中に絶種してしまったも のも少なくない。
 アメリカに於ても、 大戦の影響は少なくな かった様である。日本 のように、食料増産の ために園芸植物をまっ たく作れないという状況では無かったと思うのだが、花菖蒲は、日本で発展しジャパ ニーズアイリスと呼ばれていたため、 敵国の植物であるとして、嫌われ、処分 されたのだそうだ。 つまり、花菖蒲= ジャパニーズアイリスは、「坊主憎け りや袈裟まで憎い」 の典型となって大変な迫害を受けたらしい。本人の反日感情あるいは周囲からの目を気にして、 ほとんどの人が栽培をやめる中、ペー ン氏は、独り、黙々と栽培、品種改良を 続けたのだそうだ。
 戦争が終わって反日感情が薄れ花菖蒲が見直される様になってからは、ペーン氏の所を起点として、再び全米に花菖蒲 がひろまっていったという話であ る。現存するアメリカの花菖蒲の大部分はペーン氏から始まったと いっても過言ではなく、言うなれ ば、ペーン氏はアメリカの花菖蒲 を守った大恩人であるとのことだ。
 アメリカ花菖蒲界の最も名誉ある賞に彼の名前が付けられたの は至って当然のことである。

 以上は、1995年のアメリカ花菖蒲協会の年次大会に参加した折に親日家のマハン氏から聞いた話で ある。

 ペーン氏の育成した品種には、 彼なりの主張が感じられ、感覚的には日本人に近いものがあるように思っていたが、これほどに花菖蒲を愛 したベーン翁だからこそ、あれだけの品種改良が出来たという気がしてなら ない。
 ペーン氏の人となりに関しては、協会会報の11号、13号、15号に、平尾先生が紹介記事を書かれているので、 御参照願いたい。