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 老の独り言

                       富山県 大野 義一


  この秋七十六歳を迎えました。花菖蒲との出会 いは遠い昔の思い出となりました。魅せられた美 の思いを引き摺って、未だ実生を細々と続けてお ります。

 思えば大戦で焼土と化した故郷富山に、中支那 より復員した或る日、気まぐれに何の予見もな しに花菖蒲の種子を買い求めました。園芸の知識もなく、紫の花が咲くと思っていたのに、咲 いてみると赤紫脈筋の三英花が濃淡入り混じっ ており、興味を持ったのが最初の出会いでし た。ところが翌年偶然に、門外不出と称する花菖蒲の一群を見て、その艶麗豊大さ、風格さえ 感じられる花容に只々茫然としました。こんな 奇麗な花びらには、どんな賛辞も及ばないと虜 になってしまいました。入手の方法もなく、多忙な家業のかたわら探していた処、ようやく日比谷公園事務所内の「日本花菖蒲協会」を知り ました。

 平尾先生を下丸子の自宅にお訪ねしたのは、 昭和三十年晩秋のことでした。先生に実生のお話をしたところ、気軽に「私が師事している市川先生の処へお伺いしましょう」と、玉川奥沢町の市川政司先生を一緒にお訪ねしました。 和やかな園芸談をお聞きするうちに、市川先生 の鶴の一声で、平尾先生から花菖蒲を譲って頂 くことになりました。今にして思えば、誠に幸運な出発となりました。
 その後数度市川先生をお訪ねして、花菖蒲の由来、江戸伊勢肥後の審美眼、改良選抜の心得、浅鉢作り等々を、丁寧 に時には厳しく教示して戴きました。 ことに会報「花菖蒲」の復刻号を、勉強 の資にと戴き激励された時の感動は、今も表残の「市川蔵書印」を目にする度思い起こします。
 平尾先生には昭和三十九年頃寓居に来訪され、ヨーロッパ旅行や花談義に一夜を楽しく過ごしました。それが縁で三鹿野季孝先生に、小生の選抜品種を試培していただき、左の三品種を命名推奨して下さいました。

 千曲錦  赤紫に点筋絞り八重、他に未だないもので一番良いと思います。
 弓張月  「滑水の浜」 に似た花で、花形色彩等に優れたものを持っております。
 御神火  「石橋」 の三英花のような花、「御所遊」に似た良い花で、赤にビロード光沢を持ち、赤の「グレートモガール」 と言っても良いと思います。(三鹿野先生四十一年六月三十日のお便りより。 )

 「御神火」については芯に少し不満が ありましたが、今は芯の立派な品種が出来ております。三鹿野先生の評価は、 小生が市川先生の教示を指標として進 めてきた選抜に自信が持て、大変勇気 づけられました。花名については、花の 風姿を表現する妙味に只々感服いたし ました。
 花菖蒲のガンマー線照射は、市川先生のお話しに依り、平尾先生の御指導 を受けて試みました。栽培一年日の結果は会報の五号に拙いながら寄稿しま した。処がその後照射量が手違いから 半分程との連絡を受けました。開花一 年目は掲載された記事の如く、奇形花 の変異がありましたが、 二年目の開花は従来の花形に戻り変化はありませ んでした。しかしガン マー線は株や種子に何ら かの影響を与えているも のと推測し、期待しながら実生を続けております。
 昭和五十年代に実生の中に枝咲きが混じって現 れました。しかしこれは 珍しいとは思いました が、日本の花菖蒲として 好ましい傾向とは思いま せんでした。小輪は良い として、大輪では花首が弱く、着花お姿にも欠点 が目立ちました。幸いに写真一(略)のような品種も出 ました。よく出来ると二段や三段となり、五〜六ケ開花するにのには驚 きました。多花性は仲々微妙で仲々安定しないよ うです。品種の固定につ いては、種々問題があり そうです。肥培すると花容が崩れたり、名花の素晴らしさに感動しつつも、なかなか再見することの少ないのを体験しております。微 妙な観賞は栽培の優劣だけで片付かな いものがありそうです。一代雑種の選 抜で可としている現状で、少しでも安 定した良花をと努力しております。
   最近では嬢性や、極矮性で葉幅一セ ンチ程の細葉の品種が多数出ました。 その反面一回り大きい高性の大輪も出始めました。三英の場合は、大き過ぎても耳弁が風雨で倒れ品の無い姿に一変 します。耳弁の強さも必要ですが、大きさにも限界がありそうです。嬢性種 はどの程度の大きさ姿のものを指すのか、種々問題もありそうです。小型と思 う苗は成育が悪く、一年の経ずして枯死してしまいます。幸いに鉛筆より細 い葉の苗の一群が、遅々ながら元気に育っております。今度こそと期待をかけ楽しみにしております。
 低性細葉種は多数育っており、良花 を選抜出来そうです。この系統は剣葉 の品種が多く、浅鉢作りに好適と思い ます。葉が細いので株を多植しても姿 が良く、観賞期間を長くすることが出来ます。花が一度に咲き揃わない性質 のある品種では、三週間も花を見ました。草もの盆栽として新しい価値を期待できそうです。自然に溶け込む花菖蒲の風姿、野趣味を浅鉢作りで満喫するのが市川先生の夢でした。浅鉢用品種に就いては、先生よりガンマー線照射によって改良が出来ればと励まされ た思い出もあり、感慨一入のものがあ ります。ガンマー線照射量失敗の偶然 から生まれたのかと思うと、自然の恵みに只々感謝しております。

  越の大一(おおいち)  紫六英無地、花茎葉共大きく四倍体か三十センチ近い巨大輪が、次々と咲きます。
 時には枝咲きとなり花やや小なるも花首はしっかりとしております。

  越の紅水  三英艶のある濃紅無地、弁元に水色の脈筋が鮮明、巨体輪。

 しかし最近の品種の中には、根茎が四方に伸びず偏平な魂りとなり、下部 より新芽が出て三年目には三層状とな り、放置すると急速に株の勢いが衰えます。欠点とも考えられますが、早期の株部分けが必要です。株の早期には勢 いが良いので、根塊の分け方を研究してみたいと思います。
 また、生花用の葉を目的とした品種の育成も試みております。これは花屋さんの希望でした。花菖蒲は花時は葉が概して成長しておりません。まして 翌年の花芽株を切ることなど考えられ ません。高性の品種は剣葉で成長も早 く、繁殖が旺盛です。そこで葉の細目のものを撰べばと考えております。これ には葉の色など問題もありますが、楽 しいことです。良花を夢みながら細々と実生を続け ております。幽玄な無限の自然に畏敬 の念を抱きつつ、楽しい日々を送りた いと念じております。

 花菖蒲 埋める老いの 花供養

 平成三年大沢野町に老妻と二人移り住み、花菖蒲を三反程作るようになり ました。子達の助けを借りての、大小千五百余の株の移植は大事業でした。移植の前後に枯死した株も有りました。 当初は順調に見事な花を楽しみましたが、昨年より大株の衰え著しく、盛りに は花かす摘みに二時間も労したものが、 花を数える位の不出来となりました。 反省してみますと、富山より移植した 株は五、六年も全く株分け処置をしな いものを持ち込んでおります。とすれば十年近くも手入れを怠っていた、不 出来は当然の成りゆきであります。今年は花を諦め土作りに専念しました。 土壌改良剤EM(有用微生物群)の液を使い、自家製のEMぼかしをすき込んで、土壌の再生改良をはかります。一層 の効果を高めるのと、雑草防止のため、黒ビニールで被覆遮光しております. 圃場の花菖蒲果樹庭木等には、農薬化学肥料を一切使っておりません。EM で肥培病害管理なしに十二分な効果を 挙げております。EM抗酸化性があ り、連作を可能にしております。花菖蒲の嫌地性や細菌性の病害にも、卓効が あると思っております。
 昨年の視察旅行に来訪された折には、花らしきものもなく、大変申し訳なく恥ずかしく思っております。機会があ れば写真などでお見せしたいと思って おります。
 この度は歩いてきた道を振り返り、 特徴のある花の一部を写真に添え、拙 い文を記しました。