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 現代に残る菖翁花

                                  永田 敏弘

 花菖蒲中興の祖、松平左金吾定朝、通称菖翁の作出した品種を、江戸花菖蒲の中でも特別に「菖翁花」(しょうおうか)と呼びます。菖翁は今からおよそ150年ほど前の、江戸時代末期の天保から弘化、嘉永年間頃にかけて、数多くの品種を作出したようです。この中には「宇宙」や「霓裳羽衣」など、よく知られている品種もありますが、生前に作出した300にせまる名花のうち、どれだけの品種が今日に残っているか、あまり知られていません。

 そこで、菖翁の著した文献として知られる『花菖培養録』(弘化二年本『花鏡』( 1845)〜嘉永六年本(1853)。また国立国会図書館蔵本で、菖翁の花菖蒲品種目録として知られる『花菖蒲花銘』( 安政三年(1856)写本) および『菖花譜』(年代不詳)などを参考に、今日同一の品種名であるとして現存が確認される品種を掲げてみました。

 菖翁花は昔は堀切のどの花菖蒲園でも大切な品種であったと考えられ、絶えればごく似た実生花をそれに当てたとは十分考えられますし、長い年月の間に品種が混乱している可能性もあります。 ですから、ここに挙げた全20品種が、必ずしも菖翁が作出した花そのものであるとは言えないし、明らかに違うと言えるる品種もあります。
 また、各品種の解説は私自身の考察を記しましたが、かなり主観的な部分もあるかと思います。


宇 宙  うちゅう(おおぞら)
 有名な菖翁花の筆頭です。『花菖培養録』の中で、「ああ、人力の造化に冥合するか遂に奇品出るにいたれり」と、彼自信が絶賛するほどの名花で、「宇宙」という花銘は、人の力の遠く及ばない、この現象界を司る造物主への畏敬であると私は思います。
 なかなか本芸を現わさない品種ですが、よく咲いたときは約150年前に描かれた 『花菖培養録』の図譜そのままの姿となって現れます。その姿は気高く神秘的ですらあり、花である以上の何かを感じずにはおれず、まさしく「宇宙」です。
 『花菖蒲花銘』には、銘花百二十種中の最初に記され「牡丹咲き紺青白網狂い」とあり、『花菖培養録』にも必ず、それも数多くも名花を締め括るかのように最後に描かれ、いかに菖翁がこの花に惚れ込んでいたかが伺われます。
 性質は花菖蒲一弱く殖えませんが、この花を作るにはそれなりの覚悟が要るという ことです。また、販売されることはまずありませんが、趣味家の間ではかなり栽培されています。


霓裳羽衣 げいしょううい
 「虹色をした天女の羽衣」という意味で、能楽の「羽衣」の中にこの言葉が出てきます。『花菖蒲花銘』には「牡丹咲き紅無地狂い」とあり、『花菖培養録』の図も牡 丹咲きの紅無地に描かれていますので、紅色地に白筋の入る今日の「霓裳羽衣」を別種とする説があります。
 しかし、『菖花譜』には「紅がかる紫底白牡丹咲き吹詰請咲」とあり、ここに「底白」という言葉が見られ、また『菖蒲図譜』や『小高園図譜』(明治十八年(1885年))にも、今日のものと同一の花が描かれていますので、やはり菖翁の作であると言えそうです。力作して迫力のある八重に咲かせれば、白筋も目立たなくなります。
 現存する菖翁花の中では「宇宙」に次ぐ名花ですが、この品種も性質は丈夫であるとは言えず、繁殖力も劣り、葉にウイルス性の病班が多く出るのが欠点です。


昇 竜 のぼりりゅう
 この品種も現在のものが菖翁が作出したものか疑いを懸けられているものの一つで、一度絶種したとも言われています。『』「花菖蒲花銘」には「六英裏紫同薄色網狂い」とありますが、『花菖培養録』にはちょうど縄をなったような姿の花が描かれているので、現存する花とは違うと考えられるのも無理のないことです。
 ところが希にこの花形に咲くのです。十分な八重咲となる花弁の多い花が、咲き始めのごく僅かな時間、時としてこの花形になるのです。菖翁はそれを描いたわけで、図譜の花は満開の姿ではなく、咲きはじめの姿だったのです。
 そのほか、国会図書館所蔵の「菖蒲図譜」や「花菖蒲図譜」には、今日の花と全く同じ花容の「昇り竜」が描かれています。「菖蒲図譜」の描かれた年代は不明ですが、作風や描かれている品種などから、明治中期くらいのものではないかと推察されます。
 また、花形からしても受け咲きを好んだ菖翁の時代の花の特徴を現していることなどから、私はこの花も菖翁本人の作であると思います。またこの品種には、咲き初めの花弁がほころびて延び広がっていく時に、まるで竜が昇天するかのように三度首を振ると言い伝えがあります。本当かどうか私も見たことがありませんが、いかにも菖翁花らしい古風な趣のある花です。
 この品種も「宇宙」程ではないですが、性質繁殖とも弱い方です。


連城の璧 れんじょうのたま
 中国の古事からの命名ですが、菖翁のこの花に対する大変な意気込みが感じられます。「花菖蒲花銘」には「六英藤紫極網狂い」とあり、菖翁花の中では丈夫で繁殖も良いので普及していますが、よく咲くと花弁の縁に小波を巡らしうねり狂う様はまさに菖翁の意図した名品の姿です。また菖翁はこの花を、咲き始めの時は玉咲きとなるので「連城の璧」と呼び、咲き切ると今度は「漣」(さざなみ)と称したという逸話が残っています。
 以前故平尾秀一先生が、「この花を実生すると「宇宙」が出てくるのではないか」と言われたことがあり、私はそれを実行してみましたが、同じような薄い藤色系の花は現れても、「宇宙」を思わせる特徴を持った花は現れませんでした。私は両種の遺伝的つながりは薄いと考えています。


五湖の遊 ごこのあそび
 「花菖蒲花銘」には「牡丹咲き薄紫無地狂い」とあります。菖翁が作出した品種の中でもトップクラスの名花だったようで、各年本の「花菖培養録」の中にも多く描かれており、「花菖蒲花銘」でも「宇宙」「月下の波」「霓裳羽衣」「獅子奮迅」に次ぐ五番目に記されています。また「菖蒲図譜」にも濃青色で、丁度今日の「霓裳羽衣」のような八重咲きの姿に描かれています。
 今日の「五湖の遊」は明るい青紫に白筋の入る受け咲きの六英なので、菖翁作のものとは別種かと思われますが、江戸後期流行のの受け咲きの姿に咲き、時として旗弁が出て八重に近く咲くこともあり、「狂い」の特徴を現わすこともあります。
 性質は丈夫で草丈もあり、繁殖は普通です。


立田川 たつたがわ
 「花菖蒲花銘」には「三英紅大底白」とあります。現存する立田川は垂れ咲きで、受け咲きを好んだ菖翁の作としてはちょっとだらしない花に思えますが、「花菖蒲図譜」や三好学博士の「花菖蒲図譜」の図は、平咲きで花弁の縁に小波を巡らした粋な姿に描かれているので、菖翁作の「立田川」は今日の花とは別種で、平咲きにの花だったのかも知れません。
 熊本種の多くの品種が本種から改良発達したとされ、菖翁作出の江戸種でありながら、唯一熊本種として満月会では扱われてます。
草丈は低めで、性質も弱くはないが、それほど丈夫であるとも言えません。


雲衣裳 くもいしょう
 「花菖蒲花銘」には「紅紫地濃紅紫絞り六英」とあります。今日のものも同じ解説でだいたい当てはまり、薄紅地に濃紫の細筋が入り、丸弁で御椀の様な形に咲きますが、花に菖翁花らしい品格があまり感じられません。どうも今日の「雲衣裳」は同じ江戸古花の「蝦夷錦」と混乱しているように思います。性質は丈夫で繁殖は普通です。


蜀光の錦 しょくこうのにしき
 「花菖蒲花銘」には「三英紅白網に絞り」とあります。今日のものは白地に僅か紅の絣が入り、鉾は紅に僅か白の絣が入りますが、変化しやすくごく白花に近いものも現れます。
 この品種は白花の「初霜」と並び葉姿や蕾の姿の良い品種として、切り花で大量に生産された歴史がありますが、今日の「蜀光の錦」は、紅紫に白の砂子絞りの本物が絶えてしまったため、その実生花である「夕霞」を代用したものだと日本花菖蒲協会々報通巻第十六号で、三鹿野氏が述べています。この品種については菖翁作でないのが明らかなので、ここで紹介する品種ではないかも知れません。


和田津海 わだつみ
 「花菖蒲花銘」には「三英藤紺青白網」とあります。今日のものもまさにその通りで、その花容は品種名ともよく似合っています。草丈高い平咲きの中小輪で、弁は小粋に波打ち、丁度「煙夕空」のような群生美の美しい品種です。
 草勢繁殖共普通ですが、比較的小輪で、悪く言えば存在感が薄いためか、保存する園は少ないようです。


鶴の毛衣 つるのけころも
 「花菖蒲花銘」には「雪白大輪」とあり、菖翁花の中でもよく知られています。弁幅のやや狭い中輪で鉾がピンと立ち、純白三英花の中でも判別しやすい独特な花形です。草丈もあまり高くはなりません。
 繁殖は悪くはないのですが、性質は菖翁花の中でも弱い方で、栽培の難しい品種と言えます。


蛇籠の波 じゃかごのなみ
 「花菖蒲花銘」には「六英白地紫網狂い」とあり、この略説からは丁度今日の「神代の昔」のような花を想像させますが、今日の「蛇籠の波」は雌雄蕋が変化し旗弁の多い半八重丸弁の平咲きなので、菖翁の作とは別種かも知れません。しかしいかにも江戸の古い花らしい「遊び」が感じられます。性質は丈夫で繁殖も良い品種です。


都の巽 みやこのたつみ
 「花菖蒲花銘」には「六英白地藤色絞り丸弁」とあり、今日のものも同じです。菖翁花に共通する狂い(花弁のうねりや樋状の花弁)のある厚いしっかりとした花弁を持ち、薄紅の砂子地に濃色の絞りが僅か入り弁元は薄い青を含む不思議な色彩です。
 菖翁は実に様々な色彩や花形の品種を作出していたことが、これら現存する品種や文献から伺い知ることが出来ます。それらの作品に共通する点は、その頃の流行である受け咲きの花形であることと、花の品格の高さにあり、それは菖翁自身「花菖培養録」の中で述べています。
 この作品も菖翁花であるという確証はありませんが、花形や草姿などから私は菖翁の作であろうと感じています。やや垂れ葉で草丈は中程度。栽培する園も少ない貴重な品種の一つです。


五節の舞 ごせちのまい
 「花菖蒲花銘」には「牡丹咲薄藍無地」とありますが、今日の「五節の舞」をこれ風に言えば「六英紫地同濃網狂い」という略説になりそうです。今日の「五節の舞」は完全な六英花ですので、菖翁の作花とは別種と思われますが、「仙女の洞」や「都の巽」と何処となく似た姿に咲きます。
 性質や繁殖は普通ですが、今日の一般的な品種に比べ、どうしても見劣りするので、この品種も栽培する園は少ないと考えられます。


王昭君 おうしょうくん
 
「花菖蒲花銘」には「牡丹咲き紫無地」とありますが、今日のものは六英花です。 明治年代後期に描かれたと推定される「花菖蒲図譜」や、三好学博士の「花菖蒲図譜」、そして「菖蒲図譜」にも今日のものと同じ花が描かれているので、それ以前に本物は絶えてしまっているのかも知れません。
 しかし今日現存する「王昭君」も、赤味を含まない明るい瑠璃色で芯は色薄く、熊本種の瑠璃色系の品種の改良親になった系統の花であることが十分感じられます。草丈もあり堂々と咲く大輪の素晴らしい花です。


九十九髮 つくもがみ
 「花菖蒲花銘」には「六英白地紫網」とあります。現存する「九十九髪」は、厚く堅い花弁を持つ受け咲きで、白い花弁に青い細筋がわずかに流れ、咲き進むと殆ど純白に近くなりますが、この品種も菖翁の作花と考えてよいと思います。
 「明治神宮御苑花菖蒲図譜」や「花菖蒲大図譜」に紹介されていますが、今日では栽培する園も少ない貴重な品種です。


仙女の洞 せんにょのほら
 花弁の輪郭の描く曲線が何とも粋な花です。平凡な平咲きを嫌った菖翁が親愛する 「狂い」の姿です。まず菖翁の作花と見て間違いはないでしょう。
 この品種は「花菖蒲花銘」には記載が無く、嘉永六年本の「花菖培養録」の中にその姿が描かれています。本種は絞り花なので色変りしやすく、淡い色彩の「淡仙女」、濃紅に僅か白散班の入る「濃仙女」など、色彩変化を起こしたものがあります。よく普及しており、性質は丈夫で繁殖は普通です。


七 寳 しっぽう
 
嘉永二年(1849年)本の「花菖培養録」の中にその姿と略説があり、「六英底白紺青乱狂い」とあります。また「菖蒲図譜」にもその姿が描かれていますが、青に底白の狂い咲き六英で、「花菖培養録」の略説とほぼ同じです。
 現存する「七 寳」は、明治神宮に保存されており、丁度「五湖の遊」に近く、明るい青紫に白筋が入り、底白となる六英の平咲きで、葉は色の濃い剣葉です。


虎 嘯 こしょう
 「虎の遠吠え」、これは転じて英雄豪傑が世に出て活躍する事のたとえとなります。今日の私たちでは考えつかない名前ですが、「連城の璧」や「王昭君」と同じく、菖翁がしばしば引用した中国の古事や漢詩からの命名です。そしてこの場合、この花に対する菖翁のものすごい気概の現れと擦するべきで、それほどすごい花だぞと言うほどの意味です。
 さて、この花は弘化二年(1845年)の「花鏡」の中に記載があり、嘉永六年本「花菖培養録」にその図があります。今日のものは紅味を含む藤色地に薄色の絞りが入り、青紫の芯を持つ平咲きの六英中輪で、丁度「七小町」の花弁を厚く丸弁にして、芯を濃色にしたような花だと記憶していますが、近くで見たことが無いのではっきりしたことは言えません。小さな花で繁殖も悪いと聞きます。  明治神宮に保存されています。中咲きですので花時に神宮に見に行かれると良いでしょう。


三笠山  みかさやま
 この品種は「菖花譜」に「三英紫網降も中輪」という記述があります。今日の「三笠山」は、淡い藤色地に紫の細かな砂子が入る三英花で、紫の小絞りが入ることもあります。中輪ですがそれに似合わない大きな草で、たいへん遅咲きです。


御幸簾  みゆきすだれ
 この品種は「花菖蒲花銘」に「丹鳳楼」(たんぽうろう)として、「六英白地藤色絞り大輪」と記されています。「丹鳳楼」は「御幸簾」の別名であるとする文献があり、ゆへにこの品種も菖翁作の一つではないかと考えられます。「御幸簾」も白地に藤色の絞りの入る六英咲きです。この品種も明治神宮に保存されていますが、他所では栽培が確認されていない貴重な品種です。


 以上20品種のほかに「酒中花」「紅葉の瀧」「桜川」「霓の巴」「鶴鵲樓」など、菖翁花と言われることもあるが、実際にそれを裏付ける証拠文献が残っていない品種もあります。中でも「酒中花」は、その花形や草姿から菖翁作出のものとしか考えられないように思います。それにしても、花菖蒲の神様、松平菖翁が作出した数多くの品種のうち、かろうじてこれだけの品種が今日まで伝わって来ています。古花の中でも特に重要なこれらの品種を、この時代で絶やすことの無いようにしたいものです。