【雲井の雁】
これは氏の代表的な品種だと思います。伊藤東一氏作出の「殊勝」(平尾秀一先生の推定によると舞子の浜の子孫)に「哀愁の園」(光田義男氏の花で淡紅色底ぼかし六英)をかけて生まれた花です。交配一代目には目的の花は現れず、その後自殖したり戻し交配をしたりの苦労の末、諦めかけていた頃にやっと出来た紅覆輪の六英花です。
今は閉園となった京王百花園には「雲井の雁」が沢山咲いていましたが、真の「雲井の雁」は10輪から数100輪に一輪しか咲かなかったそうです。群花中、ほとんどの花は紅覆輪が5o〜10o位も幅があり、弁への染め込みも全く見られますが、真の花は「殊勝」と同じ位の細覆輪がくっきりと紅色に出ます。又、染め込みも全く見られません。この様に咲いた花は極めて気品高く非常に美しいもので、恐らくはシーズン中、大きな園でも何10輪も咲く物ではないと思われます。花菖蒲園で「雲井の雁」をご覧になる時は、是非皆さんにこういう花を見つけて欲しいものです。
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雲井の雁(くもいのかり) |
【為朝・荒法師】
いずれも名花「水天一色」(スイテン・イッシキと読むのが正しいそうで押田氏は略してスイイチと呼んでおりました)の子孫です。
「水天一色」は菖蒲園に向く旧肥後系の花ですが、花柱支がやや白っぽくなります。氏はこの点が飽き足らなかった様で、花柱支が白くならない改良種を「為朝」と命名しました。又、その同じ系統から濃紺に白糸覆輪六英の良花が出来ましたので、これを「荒法師」と名付けました。
以前奥様から聞いた話ですが、新品種の命名については二人三脚で付けられたそうです。奥様がいろいろ名前を考えて、気に入った名前であるとご本人がそれを採用するといった形を取ったそうです。前記の「荒法師」は名前が決まるまで何と5、6年を費やしたエピソードを持つ花で、この花に対する自信が伝わって参ります。
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為朝(ためとも) |
【玉織姫】
この花の交配親は不明となってしまいましたが、白地にアズキ色の網目と吹っ掛けが少々入る六英の大輪良花です。サツキに同名の品種がありますが、この花の色彩パターンがサツキのそれにそっくりなところから命名された花です。これも肥後系の立派な花で、類似花の少ない後世に残すべき花の一つでしょう。
【先陣】
紅紫三英の早生品種です。この親もはっきり分からないということですが、肥後系の血が入っている様で京王百花園の中で、最も早く咲き出すものの一つでした。
【浮見堂】・【葉隠】
いずれも濁りのない空色吹っ掛けの肥後系で、「浮見堂」は三英、「葉隠」は六英に咲きます。「浮見堂」の由来は底ぼかしの外英の上に内英が浮き立つように直立することから名付けたそうです。
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浮見堂(うきみどう) |
【狩衣】
紅覆輪の美しい三英花です。類似の「君子国」はおわんを伏せた形に咲きますが、この花はやや水平咲きとなります。
【錦の里】・【花祭】
「錦の里」は紅紫六英の花で花柱支が白色となります。紅紫の色相も濃く独特な雰囲気を持っています。「花祭」は良く似た兄弟花でやや大輪に咲きますが、両種共錆病にかかり易いようです。
【舞姫】
江戸系のピンクの垂弁三英花です。この特徴は枝咲きになることで、一穂に9輪以上咲いたことがあるそうです。惜しむらくは、薄い弁の寿命が短いことです。これも交配親は不明となってしまった花です。押田氏は、伊藤東一氏から江戸系を、西田一声氏から熊本系(肥後系)を学んだり取り入れられたりした方ですが、一方では伊勢系も好まれ実生されたようで、この花には伊勢系の血が入っていると想像されます。
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狩り衣(かりごろも) |
以上、私が押田氏から直接伺った話を基に簡単にまとめました。氏は余りご自身の知識を文章にしておられなかったようですが、私の手元にある資料の中で三書に出筆しておられました。
私が最後にお会いしたのは、亡くなられる4ヶ月前の花時でした。私の実生花で「峯桜」というのが咲きまして、見ていただこうと思い早朝にお宅に伺ったところ、まだ床におられた様子でした。今、思い出しますと顔色もすぐれず、きっと自宅療養をされていたのではないかと想像され、大変申し訳ないことをしてしましました。
「この花を園に植えて品定めをしていただけませんか」の私の願いに快諾され、急ぎ着替えてまだひとっこ一人いない早朝の園内を案内して下さりました。又、以前差し上げた伊勢撫子(冨野先生よりいただいた優良系)を温室で見せてくれて「この花を私は好きでねえ」と言われ、いかにも花が好きでたまらないという笑顔が最後の別れとなってしまいました。しかし、実生家の魂は、いつまでもその作出花と共に生きて行くものだと私は信じております。これらの作出花は長井アヤメ公園や佐原水生植物園に多く植栽されていて、皆さんがそこを訪れる時には、氏は沢山の花となって迎えてくれることでしょう。
合掌
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