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    私の花菖蒲の命名由来
                      北海道夕張郡 高橋 俊明

長沼花菖蒲園 1998年
 私と花菖蒲の出会いは、今から三十年ほど前の昭和四十九年に始まります。その頃(今でも続いているが)全国的に米が余り稲の作付けを減らすために減反休耕政策が始まって四年目頃でした。私もやむなく休耕をしておりましたが、唯水田を遊ばせておくのも勿体なく思っておりました。しかし、北海道で水稲に代わり水田に植えて育つ植物はなかなか見つけられませんでした。
 六月のある日、東京の明治神宮の花菖蒲がテレビで放映されたのを見て、水田でも作れるのではと考えました。当時はまだ北海道には花菖蒲園が札幌に一ヶ所しかなく、本州各地の花菖蒲園を見て回りましたが、どの花菖蒲園も見事な花を咲かせ、また見物に訪れる人も多く大盛況でした。

 さっそく少しばかりの苗を購入し、休耕田に植えてみましたが、稲しか作ったことのない私には大失敗でした。翌年わずかに残った苗で再度挑戦し、徐々に苗を殖やしてゆきましたが、当初考えていた面積に殖えるまでには相当な時間が掛かりそうなので、種子を取り実生を殖やしました。しかし、花菖蒲を以前から手がけている方々から、花菖蒲は江戸時代から一個体づつに名前が付けられ現在も確固たる品種として受け継がれているものなので、ただの実生の花はなるべく咲かせない方が良いとの言葉があり、そんなことのあって中止しました。
 そんなことがあり、幾年か過ぎて、花菖蒲畑の面積も三町歩ほどに広がった頃、花菖蒲の種子採りを依頼されて、数年種子を販売しました。
 その少し前から花菖蒲畑に連作障害が起こるようになり、良い花を咲かせるのに、いろいろと苦労が多くなってきました。そこで以前、実生を植えて出来が良かったのを思い出し、余った種子を播き、連作障害に強い個体だけを選抜して行きました。
 連作障害に強くても、花が良くなければお客さんに見てもらえません。当時育種の大家だった故平尾先生や冨野先生など、多くの先生方の作られた数々の名花には足元にも及びませんが、とりあえず自分なりにまあまあと思う花を選抜淘汰し、徐々に増やしてゆきました。しかし無名ではいけませんので名前を付けようと考えましたが、浅学非凡な私にはなかなか良い名が浮かんできません。

 今回、花菖蒲協会に登録させていただいた品種の名称も、数年掛かりで付けました。以下登録した品種と、その名称の由来です。
紫の司(むらさきのつかさ)

三英、白地に青紫の砂子絞り、以前からありました肥後系の「色の司」に花が似ていて青紫色なので「紫の司」としました。
大金剛(だいこんごう)

三英 少し紅掛かる青紫。江戸系の古種に金剛山という品種がありますが、色が多少紅掛かりますが咲き方や形が似ているようで、花は金剛山より大きいので「大金剛」としました。
朝靄(あさもや)

六英 白地に薄い青が入る  花菖蒲の咲く時期とは違いますが、私のところでは秋の朝に薄い霧がかかることが何度かあり、その風情に似ているような感じがしましたので「朝靄」としました。
濁酒盃(だくしゅはい)

六英 紅紫に白の糸覆輪 盃に並々と酒を注ぐと表面張力で盃の縁が白く光ったように見える。その光景を思い出し、また花色が紅紫なので「濁酒盃」としました。
以上の四品種の登録させていただいた花の名前の由来ですが、どの品種も多くの実生株から選抜しましたので、交配親は全く不明です。いつかもし皆様方にこの花を見ていただく機会がありましたら、このことを思い出していただければ幸いです。現役の育種家の作られた花に比べても劣るかもしれませんが、連作障害には比較的強いようで、花付きも良く花菖蒲園に向く品種かと思っております。

現在は花菖蒲園をやめて、趣味的に古花、新花を問わず自分の好きな花を約200種ほど植えて楽しんでおります。