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 キハナショウブの新時代

  相模原市  清水 弘


 交配の歴史
 歴史上一つの区切りとなる西暦2000年を迎えた今、1900年代における花菖蒲とキショウブの一代雑種であるキハナショウブの作出経過をまず最初に纏め記録に留めたい。
 1950年代の終わり頃、ジャーマンアイリスの育種に刺激された数人の実生家、即ち平尾、富野、光田等によって、誰が最初にこの交雑に成功するかの育種競争が起こった。しかし最初に成功したのは、愛知県の大杉隆一氏であった。彼はこの世界初のを1962年に開花させて「愛知の輝き」と命名した。現在、この株は大変増殖しこれらの交配種の中では普及度トップとなっている。
 次いで1971年には二個所にて、同様の交配・開花に成功している。一つは横浜の植木久晴氏である。この株は「金星」と命名され増殖されている。他の一つは、三重県の富野耕治と桜井温信氏の共同によるものであった。彼らはその兄弟株の染色体数をカウントし、2n=29(キショウブと花菖蒲の中間数)であったことを三重大学研究紀要に発表している(1972年)。
 この種の交配育種に本格的な科学のメスを入れたのは、花菖蒲協会の顧問にもなっている宮崎大学の藪谷勤氏である。1984年にその成果を「ハナショウブの種間交雑育種に関する基礎的研究」と題して一冊の報告書として纏めた。その中には父本に花菖蒲の江戸系品種(花鳥)と伊勢系品種(旭丸)を用い、得られた雑種胚を胚培養にて育て開花させた三個体の記載がある。
 1986年には、東京の野口慎一氏がガーデンライフ誌上にて「多摩錦」を発表した。それまでは白花の花菖蒲を父本として使用したためと出来たは皆、黄色であったが、氏のは絞りの配色の花菖蒲品種を用いたため黄色地に小豆色の絞り咲きとなるユニークなものであった。
 続いて1988年?には愛知県の福花園種苗が「緑葉黄金」を発表し、1991年には大阪の前田正高氏が「堺の黄金」を作出している。
 これまでのものは「愛知の輝き」に代表されるようにどれもが黄色葉であったが、この二種は共にそれまでなかった緑葉を付ける。尚、「堺の黄金」は四倍体という話であったが、宮崎大学で染色体をチェックしたところ、2n=46であったので、四倍体のキショウブと普通の(2倍体)花菖蒲のF1(34+12)と推定される。キショウブの染色体の2セットを持っているのでキショウブの花粉を掛けると結実するが、花菖蒲の花粉では不稔となるようだ。
 ところで、加茂花菖蒲園では1980年代の半ばから十年余りに渡って、ある程度まとまった数の品種群を作出・発表している。「小夜の月1984年」、「金鶏1987年」、「花月夜1988年」、「貴公子1988年」、「稔の秋1988年」、「初穂1989年」、「落日1991年」、「小夜蛍1993年」、「金冠1996年」等であるが、他に絶種したものもかなりあるようだ。
 従来の育種法では雑種種子が得られにくい上、折角、発芽した実生でも葉緑素が失なわれ上手く生長しないという問題点のため、育成は困難を極めたが、加茂荘ではそうした問題点の打開のため、藪谷らによって確立された胚培養をいち早く導入し、十数種の雑種の育成に成功を納めた。
 さて、この辺でキハナショウブ育成のこれまでの問題点を整理すると
一、交配しようと思っても、キショウ ブと花菖蒲の花期が合わない。
二、 折角、交配しても種子が採れな い。
三、発芽しても葉緑素が極端に減少して途中で枯れてしまうか、枯れないまでも何年掛かっても少しも開花しない。
四、開花しても絶種してしまうことも多い。
五、増殖しても黄色葉で、草丈、花径が小型で菖蒲園の中では見劣りする。
六、胚培養は有力な手段であるが、一 般的でない。
 これらの問題点をある程度克服して、2000年からは自由にが作出できる見通しが付いたので、次に報告したい。
1900年代の遺産
 1900年代後期において、キハナショウブの育成には母本にキショウブを用いることが、絶対条件であることが、実生経験からも科学的にも証明された。また、その時代は花菖蒲の早咲き育種がすすみキショウブの花期に近い極早生品種が沢山育成された時期でもあった。
 F1育成の環境の半分はこれで整ったといえる。即ちF1獲得の為には、1900年代の育種成果の一つである花菖蒲の極早生品種の花粉を用意する一方、これまでの栽培知識の蓄積(鉢植え花菖蒲の開花が地植えに比べると一週間程度遅れる)に基づき、母本として用いるキショウブを鉢植えとし建物の北側に置くことで、花期をおくらせた母本を用いることにすれば、一般家庭でも花期の不一致を克服できることとなった。
 残りの半分は、1900年代末に小生が発見した高稔性キショウブの存在(虞美人と命名)である。
 虞美人の育成経過は下記の通りである。
(一) キショウブの原種は中東からヨーロッパに生育し、日本に現在ある系統は割と少ないと考えられたので、欧米との種子交換  によって十数系統の種子を導入した。
(二) 発芽して得られたキショウブの十数系統の雌しべに、花菖蒲の 早咲き系統の五、六品種から採った花粉を混合して交配した。
(三)数系統から種子が得られたが、 一系統を除いて殆どの雑種は葉緑素が減退して数年たっても開花に到らなかったので、それらを淘汰した。
(四) 残った1系統は次の特性があっ た。
  @ 交配した殆どの莢から数粒から数十粒の種子が採れ、中には穂発芽しているものさえあった。
  A 種子は殆ど休眠しないようで、秋まきしてすぐ発芽してくる。
  B 発芽した殆どの株が緑色の葉を持ち、雑種強勢を示し交配の翌々年に開花した。
  C 開花したものは小輪だが、草丈は従来のものよりずっと高かった。
  D 雑種第一代に白花、色花と分離してきたことから、この系統は白色遺伝子と有色(黄色)遺伝子をヘテロの状態で保有していると考え られた。
  E 宮崎大学の藪谷先生に染色体数をみてもらったところ、2n=35の異数体であることが判明した。
(五)上記で選抜したキショウブの系統を虞美人と命名し、花粉を混合せず色々な色彩や色彩パター ンを持つものを独立して交配した。
  @ 交配に用いた花菖蒲の品種によっては、に軽い黄色が現れたが(一〜二割程度)生育を妨げるほど  ではなかった。
  A 高度稔性の組み合わせのものがあり、花菖蒲の品種間交配と同程度の数の種子が得られるものがあった。
  B これらの実生は現在300個体以上生育しており、明年の開花を楽しみにしている。

新時代での発展
 嘗て、平尾会長は「雑種は万華鏡を覗いているようなもので、美の世界とは異なるところにある」という意味のことを云ったそうだが、それは「得られるF1個体が余りに少なすぎて殆ど選抜を加わえることが出来ない為、単に物珍しさの留まっている段階であるからだ。」と私は解釈している。キショウブとの種間雑種が数多くできてくれば、その中からよりよいものを選抜することができるわけで、花菖蒲ともキショウブとも異なる美を持った新世界が広がってくるのではないかと思う。  また、多くの種間雑種個体ができてくると、自然に複2倍体化した稔性の高い個体も出現することが期待でき、こちらの方は花菖蒲の改良に役立つに違いない。
 最後に、組み合わせ検定(予備交配)において得られた雑種個体の花をいくつか紹介する。先々、キナハショウブの覆輪花や絞り花などが得られ、新時代の幕開けになるだろう。