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私の新花と花の謎  
        その2・深山蝶

神奈川県 清水 弘


 昨年の年の六月、写真の奇花が誕生した。ご存知のように花菖蒲の外花被片の弁元には黄色の蜜標があって、ミツバチやマルハナバチなどの昆虫に誘い、蜜を与える代わりに花粉の媒助をしてもらっている。英語ではこの密標をシグナル(信号)というが、これは昆虫に蜜の所在を教えているという意味であろう。
 小生は以前よりこの蜜標部分の形状に注目しており、弁元から弁先に向かって隆起した筋が走っている実生が、時折出現することに気付いていた。今回紹介する新花「深山蝶」は、この外花被片の隆起部分が発達し、完全な副弁を形成しているというところに特徴がある。


 花菖蒲以外のイリス属植物でも、このような副弁を形成するものは他にないが、花菖蒲の進化を考える上でこの新花は貴重な存在だと思う。読者は毎年4月になると日陰で開花するシャガや、山草として鉢作りされるヒメシャガをご存知だと思う。これらは花菖蒲と同属の植物で、中国や北米にもその仲間が自生しているが、面白いことにこれら花の外弁には鶏冠状の突起があり、欧米ではクエステッドアイリス(トサカアヤメ)と呼ばれたりする。新花の旗弁は、この鶏冠状突起に相当する器官である。


 一方、欧州南部には弁元の同じ部分がヒゲ状突起になっている同属植物があり、ベアドアイリス(ヒゲアヤメ)と呼ばれている。我が国でも普及してきているジャーマンアイリスは、この仲間の代表的な園芸種である。また、最近はこのジャーマンアイリスの品種の中に、ホーン咲きと呼ばれるものがあり、ヒゲの一部が更に発達して角状の突起を作っているものもある。紹介したこれらの突起器官は、いづれも同じ外弁基部の部分から形成されている相同器官であろう。


 新花「深山蝶」の副弁は明らかに突然変異であるが、一種の先祖帰りと考えることも出来る。突然変異は新しい形態を形成するよりも、眠っていた過去の形質を呼び覚ます方向に起こることの方が容易と思うからである。ハナショウブやアヤメ、カキツバタは、弁元に突起器官を一切形成しないが、これは進化して来る際に捨ててしまったからではないだろうか。この考えを飛躍させてみると、イリス属植物の先祖に当たる植物には、外花被片の基部に何らかの突起器官があったのではないかと思えてならない。シャガの仲間はこれが鶏冠状に進化したし、ジャーマンアイリスの仲間は、ヒゲ状に進化した。一方、ハナショウブの仲間は、この形質を眠らせる方向で進化したのではないだろうか。イリス属植物は高度な虫媒花であるので、それらは昆虫との共進化によるものであろうし、湿地性のものに突起がないものが多いのも、昆虫の種類と何か関係があるのかもしれない。
 しかしながら、もう一つ別の考え方として、「外花被片基部を形態形成する遺伝子の部分が、何かの原因でルーズになっている。」と考えることも可能である。元々、この部分が色々の突然変異を起こしやすく、出現した突然変異の内、昆虫を含めた外環境に適合した形態だけが現在に生き残っているとも考えられる。この様に、この新花はイリス属植物の進化について色々な連想を湧かせてくれるとても面白い存在である。


 終わりにあたり、この新花の持つ花型を「副弁咲き」と呼称することを提案したい。今後、この花型を持ちながら、花色の異なる新品種を育成して行きたいと考えている。