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北野天使の故郷     
 
神奈川県 清水 弘


 今夏、花友と共に青森県下北郡を訪れた。ここは花菖蒲の一品種である「北野天使」の故郷である。旅の記憶を書き綴る前に、この美しい花の由来をまず紹介しよう。

北野天使の来歴
 昭和63年、北海道の函館で花菖蒲園を経営していた佐々木勝雄氏より、ピンクの野花菖蒲だという株を譲り受け翌年開花させた。それは欧米系のローズクイーンという品種に似てはいたが、丈やや高く花色はより澄んだピンクで、それまで見たことのある野花菖蒲の中では、もっとも花型が整い観賞価値の高いものであった。余りに美しい花であったので、同氏に出所を聞いたところ、青森県下北郡東通村に住む東田萬年(ひがしだ・かずとし)氏採集のものだということであった。早速、東田氏に手紙を書いたところ、次のような内容の返事をもらった。   

発見日 :昭和55年6月から7月   発見場所:下北郡東通り老部村と小野田沢の間 (本会の50周年記念誌に「本州さいはての原生花園」で紹介)

 当時まだ、花菖蒲の登録制度は出来ていなかったが、私は登録の必要性を強く感じ、再度、手紙を書きその花の名前と既分譲先を問い合わせた。氏は「北野天使」(きたのてんし)(写真)という花名を考えており、幸運にも分譲先はまだ数カ所(故平尾会長、設楽鵬氏、加茂氏それに佐々木氏)とのことであった。これならまだ整理できると確信し、本協会の理事長である一江豊一氏に連絡をとり、「将来、別のピンク野花菖蒲が見つかった場合に混乱することになるから」との理由で、データベースに登録していただいて置いた。現在では、このデータベースが基となり、曲がりなりにも本協会に品種の登録制度が発足している。お陰様で、その後この花は随分と増殖し、各園でしっかりとした名札を付けて栽培していただいている。               

旅の始まりと出逢い
 平成10年7月4日、花友と共に羽田から飛行機で三沢空港へ飛び、レンターカーを借りて旅の徒に付いた。一日目は、十和田にある有名な菖蒲園「鯉艸郷」を訪れた。ここは中野渡さん御家族経営の非常に手入れの行き届いた園で、土作りに対する東北人のポリシーがひしひしと伝わってくる。この園にだけある名花「みちのく黄金」をはじめとする古今の名花がずらっと植栽されている片隅に、同県、六ヶ所村で採れたという、くすんだピンクの野花菖蒲が栽培されており、今回の旅の期待が大いに膨らんだものである。翌早朝、花とは無関係の原発ですっかり有名となってしっまった六ヶ所村を目指して車を跳ばした。2時間程走ったところで、小川原湖という汽水が入り混じる広々した湖の岸辺に出たので、車を停車させると、早くも目的の野花菖蒲の数株を見つけた。それらの中には濃紅紫色で白芯を持つ花があり、野生種としては花形も色彩も整った立派な花で、早速写真に収めた。数百m歩くと、水田の畦道に沢山の野花菖蒲を見つけることができたが、どれも広葉のがっしりした花で、山形県辺りのものと共通する形質を持つようだ。

 充分な写真を撮った後、先を急ぐことにしたが、乗車後間もなく、同行のN氏が遠方に色変わりの花があるという。半信半疑で薮状の畦道を50m程歩くと、ややくすんではいたが、ピンク色の野生大株(写真)が見つかった。それにしても、花よりもN氏の鷹のような眼に感心することしきりであった。
 この辺りは水田地帯となってはいるが、広い面積にわたって野生種が分布している。田植え後、一ヶ月位と思われる水田の中にさえ入り込んでおり、稲、人、それに野花菖蒲の混然一体となった姿が、我が国の中世の風景を垣間見ているようなが気がしてならなかった。現代の我々は、6月になると花菖蒲を愛でに菖蒲園に繰り出すが、その原点はこのようなところに有ったのかもしれない。
 

 一路北上、幾つかの沼を通り過ぎ、車は六ヶ所村に入った。東田氏がフィールドワークとした原生花園は、原子力発電所建設のため壊滅的打撃を受け、現在ではフェンスが張られ進入することすら出来ない有り様となっていた。それでも国道沿いの諸処の低湿地に何カ所もの自生地を確認することが出来た。今日は下北の東端にある尻屋崎まで行くこととし、更に2時間ほど車を飛ばした。尻屋崎は白い灯台と津軽海峡、遠方には北海道が見え、風光明媚な観光地にもなっていたが、ここは、また馬の放牧が行われており、特別に「寒立馬」という名称もつけられていた。この岬周辺には野花菖蒲の紅紫色の花が、日光キスゲの黄色の花と共に開花しており、津軽海峡の白波と相交わって、実にカラフルであか抜けした景観を作っていた(写真)。悪天候時には、これらの植物はかなり海水を被ると考えられるが、耐潮性があるのだろう生育に影響は全くない。東京に住む私たちにとって、野花菖蒲や日光キスゲは本州中部の高山に生息する植物という感覚があるので、海辺にも咲くことが出来るという野花菖蒲の意外な一面を知った次第である。

 また、この岬でもう一つ花菖蒲の意外な側面を知った。それはgraze-resistantという性質である。日本語でいうと「放牧家畜耐性」とでも訳するのだと思うが、放牧された馬は野花菖蒲の葉も花も食べないようだ。この性質はアヤメにもあるようで、今回の旅の一ヶ月前、チベット人によりヤクの放牧された雲南省の高地(標高3000mから5000m)を訪れたが、中国の高地性アヤメもヤクに食べられずに、しっかりその放牧地に生き残っていた。本協会の加茂会長は、「カムチャッカでは、家畜がヒオオギアヤメを食べない」といっていたので、イリス属一般に共通する性質なのかもしれない。


 この大変気持ちのよい岬での昼食を終え、今晩の宿を取った六ヶ所村へ戻る途中、「北野天使の生みの親」とも言うべき東田萬年氏のお宅を訪れた(写真)。80才をすぎた痴呆の母親との二人住まいだという。毎日、24時間、一人付きっきりで母親の面倒をみており、郵便局にすら出かけられないというその生活に、ただただ頭が下がる思いがした。しかし、野生植物の保護という観点から、原発に反対する意見を熱っぽく語る氏の姿勢には圧倒されるものがあった。相手の存在を認めそれを尊重するという氏のヒューマニティ(人間性)が、老母に対しても野生植物に対しても同じように発露されているのであろう。
 現在、氏は野生植物の観察に出かけらる状態にないが、庭先での実生は継続されている。まだ40代後半だと思うので、氏の実生の発展に期待したい。やがては好きなフィールドに出て、珍しいものを集めることのできる機会に恵まれる日も来るものと信じる。お土産に頂いた八重咲きの日光キスゲ(氏の採集による)を手にしながら、氏と家族の健康を密かに祈りながら失礼した。                   


大群落  
 旅の三日目は、夢にも思わなかった野花菖蒲の大群落との出会いで始まった。同じ六ヶ所村村内にある、とある沼に続く広大な湿地全体に渉って野花菖蒲が群生しており、花数としては数千では効かないであろう。一見、変異はほとんど無いように見えたが、丹念に探すと紅紫色が退色した薄紅色をした個体が、ところどころに見つかった。園芸種の早咲き系統のような感じの丸弁、弁厚のしっかりした花もある。白色はなかったが、黒紫色の個体も見つけることが出来た。花型も垂弁がほとんどだったが、稀に受け咲きもあった。本州中部にある野花菖蒲と異なり葉性が逞しく、より栽培品種に近いように感じられる。また、全体を通じてこの群落を特徴づけているのは、淡色の花が多く存在していることである。昨日見つかったくすんだピンク色の花といい、北野天使といい何か共通するものを感じながら観察を続けた。足下が泥だらけになりながらも、あっという間に数時間が過ぎ去り、帰りの飛行機の時間となってしまったのは、残念であった。                   


旅の印象
 二泊三日という今回の旅で、北野天使を越える花を見つけることは、とうとう出来なかったものの、その姉妹花とでも呼べる薄紅色の花々に出会えたことは大変幸いであった。そこには、消えつつある原生花園に夢と情熱を密かに燃やしつつ、生活している花友がいることを知った。過去にも彼のようなプランツハンターがいて、現在の多くの菖蒲園が間接的にしろ、彼らの採集による恩恵を受けていることを、決して忘れるべきではあるまい。 また、人々が耕作する水田に続く畦道に野花菖蒲が生育している姿がとても印象的であり、北野天使の故郷への旅は、花菖蒲文化のルーツを旅することでもあったように思えてならない。