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花菖蒲とトラマルハナバチ

加茂花菖蒲園   一江 豊一


外花被を押し下げ、花に入り込もうとする。
柱頭の下を通り奥に進む。
このとき柱頭はハチの背の花粉をすくい取る
密を吸い飛び立とうとしているハチの背には、
花粉が付いている。
北隆館 フィールドウオッチング より転載

 花菖蒲をはじめとするアヤメの仲間は、花の作りが特殊な形をしています。これは、媒介昆虫に効率よく受粉してもらうために、花形を進化させた結果、作り上げられたものと考えられています。これに関して少し説明をしてみましょう。

 花菖蒲には、トラマルハナバチが、吸蜜と花粉を集めるために頻繁に訪れ、花菖蒲の受粉の中心的役割をになっています。花菖蒲の開花シーズンのごく初期には、ミツバチの訪花が観察され、受粉にも一役買っている可能性もあります。けれども花の最盛期になるとトラマルハナバチの方が圧倒的に多くやってきます。またトラマルハナバチが多く訪れるようになるにつれて、花菖蒲の結実割合も高くなってくるようなので、主役はトラマルハナバチと見てよさそうです。

 花菖蒲の花の構造を観察してみますと、3枚の内花被片と3枚の外花被片があり、元の方はくっついていて深さ15ミリほどの筒になっていています。ここにトラマルハナバチを誘う蜜が分泌されます。花柱(雌しべ)は3つの花柱支に分かれ、幅が広くなって、それぞれが3つの外花被片の基部を覆って小さなトンネルを作っています。このトンネルの天井に相当する花柱枝の下には、葯が張り付くような格好で付いており、トンネルの入り口にあたる花柱支の先には柱頭があります。昆虫が花被基部の筒に溜まった蜜を吸うには、外花被片と花柱枝との間に出来たトンネルに、もぐり込まねばならない構造になっています。その時トラマルハナバチの背中は、はじめ柱頭に、さらに奥に進むと葯に触れて花粉が付く仕組みになっています。そして次の花を訪れた時に、背に付いた花粉が、トンネルの入り口にある柱頭にすくい取られるようにして、受粉する様にできているのです。

 野生のノハナショウブの花に造られたトンネルのサイズは、トラマルハナバチにぴったりにできています。けれども園芸の世界では、ノハナショウブのように花柱支が偏平で外花被片にくっついた品種は、芯が貧弱であるとしてあまり評価されません。改良の進んだ園芸品種の中には、幅広の花弁が重なり合ってトラマルハナバチ用のトンネルが通行しにくくなっていたり、花柱支が立ち上がって柱頭がトラマルハナバチの背に触れない様になっているものが多く見受けられます。野生種に近い花形の品種は自然によく結実しますが、極度に花形の改良された肥後系の多くが放任ではあまり結実しないのは、このためと考えられます。

 蜜を吸った後のトラマルハナバチは、そのままの体勢で後ずさりして出てくる場合と、90度向きを変えて花被片と花柱支の間の隙間から出てくる場合があります。トラマルハナバチはバックするのはあまり得意でないらしく、後ずさりはぎこちなく、隙間からすり抜けて出てくることの方が多いようです。花菖蒲にとっては、トラマルハナバチが蜜を求めて潜り込む時が、受粉のチャンスなので、出る時の方法はどちらでもかまわないと言えます。

 よく観察していると、トラマルハナバチは、弁の基の黄色い部分(我々が目と呼んでいる部分)を目当てに飛んで来るのがわかります。これはトラマルハナバチなどに『この中に蜜がありますよ』と教えるための目印で、蜜標(ネクターガイド)と呼ばれます。特にこの目(蜜標)がくっきりとした品種には、トラマルハナバチがより頻繁にやってくるようです。花菖蒲は花の形をトラマルハナバチに合わせただけでなく、彼女埒を呼び寄せる方法もちゃんと用意していたのです。通常私たちが弁と呼んでいる外花被は、単に目印であるだけでなく、飛んできた昆虫が最初に止まるタラップの役目もはたしています。

 受粉生態学では、ツリフネソウ、オドリコソウ、ランの仲間の様に、大きくて蜜標のある止まり場、止まり場の上にある葯と柱頭、押し進んではいり込んで蜜を吸う構造のそろった花をノド状花と呼んでいるそうです。花菖蒲をはじめとするアヤメの仲間も、同様の構造を持っていますから、ノド状花に当たります。ただ花菖蒲たちは、ノド状花の条件を満たす構造が、一つの花の中に3組あるという点で、非常に特殊な花といえます。つまり受粉生態学的に見ると、3つのノド状花が組み合わされて、一つの花ができているのだそうです。

 花菖蒲の葯は、開花直後から開いて花粉を出しますが、柱頭は、開花一日目には閉じていて花粉を受け付けず、二日目になると受粉しやすい形に開いてきます。これも、花菖蒲が受粉相手として、同じ花ではなく、別の花の花粉を得ようとする工夫と見る事ができます。

 このような受粉の仕組みだけでなく、葯が花柱支を傘にして、水に弱い花粉を雨から守るような形で隠れている事や、トラマルハナバチの背中に、花粉を付けるためにしつらえた様な、ふわふわとした毛がびっしりと生えている事などを考えると、自然の妙を感じずにはいられません。


参考文献
北隆館 フィールドウォッチングE原野の野草ウォッチング
教育社 植物の世界ナチュラルヒストリーへの招待 第3号